主よ。あなたは、私の心が騒ぎ立っていたころのことを 覚えておられますか。
船の中のノアとすべての生き物を、神は心にかけていました。やがて神が風を吹きつけると、しだいに水は減り始めました。
苦しみの底から助けを呼び求めると、 主は救いの手を差し伸べてくださいました。
私は山の神々に助けを仰ぐべきなのでしょうか。
エルサレムの主の宮に行こうと 誘われた時のうれしさは忘れられません。
私は天の王座におられる神を見上げます。
イスラエル中の人々は、次のことを知りなさい。 もし主が味方でなかったなら、
主を信頼する人は、シオンの山のように、 どのような状況でも動じません。
主が、捕虜となっていた人々を エルサレムへ連れ戻された時、 私たちは、まるで夢でも見ているようでした。
主が建てたものでなければ、家を建ててもむだです。 主に町を守っていただかないのなら、 見張りが立つ意味もありません。
主を恐れかしこみ、信じて従う人に、 祝福がありますように。
イスラエルは言う。 「私は若いころから迫害され、
ああ主よ。私は失意のどん底から、 あなたの助けを叫び求めます。
主よ。私は思い上がったり、 横柄な態度をとったりしません。 何でも知っているふりをしたり、 他の者より自分がまさっていると 考えたりすることもしません。
この悲しみに目を留め、この痛みを感じ取り、 この罪をお赦しください。
神は、子孫をカナンの地に連れ戻すという、アブラハム、イサク、ヤコブへの約束を思い起こしたのです。
どうか、私に突きつけた苦い杯と苦しみとを 思い出してください。
主よ、私たちの身に起こったことをみな 思い出してください。 私たちが、どんなに大きな悲しみを 忍ばなければならないかに、目を留めてください。