主はこう言われます。 「立ち上がって、虐待された者、貧しい者、 困っている者を守ろう。 わたしの救いを待ちこがれてきた人々を助け出そう。」
神は、このような横暴な連中から、 身寄りのない者や貧しい者を救う。
人の中傷も苦にならず、将来の心配もなくなる。
ああ主よ、立ち上がってください。 ああ神よ、彼らを御手で倒してください。 どうか、貧しい者を忘れないでください。
主は、みなしごや虐待されている人たちの そば近くにいてくださるお方です。 それで彼らは、地上の者たちから、 二度と脅かされることはありません。
ところが、手がけることは何でも成功し、 敵をなぎ倒していきます。 神の刑罰が待っていることを 考えもしないのです。
あなたの助けを信じて公言する者を、 あなたはなんと大きな恵みで 包んでくださることでしょう。 信頼と敬愛を失わない者のために、 あなたはすばらしい祝福をたくわえておられます。
大声で叫び求める哀れな者を、 主は苦しみから助け出してくださいました。
神をあざけり、神を信じる人々を脅す、 その口のきき方は、なんと横柄なことでしょう。
「ふむ、そうか。だが、どうしてこの私が、その主とやらの言うことを聞いて、イスラエル人たちを行かせなければならないのだ。主とはいったい何者だ。聞いたこともない。いちいち、そんなお告げなどに取り合ってはいられない。イスラエル人たちは絶対に行かせない。」王はきげんをそこねたようです。
貧しい人をいじめるのは、 その人たちを造った神をさげすむこと、 貧しい人を助けるのは神をほめたたえることです。
おしゃべり好きは、 おしゃべりの後始末をさせられます。 うっかり間違ったことを言って 死ぬ場合もあるのです。
次に私は、世界中で行われているしいたげと悲しみを見ました。しいたげられている人が涙を流しても、だれも手を貸そうとしません。一方で、しいたげる者たちはしっかりと手を組んでいます。
貧しい人が金持ちにいじめられ、国中で正義が踏みにじられているのを見ても、別に驚くにあたりません。どの役人にも上役がいて、その上にさらに高官がいるからです。それが国の政治の仕組みなのです。
主への忠誠のしるしとなります。彼らが迫害の中で助けを呼び求めると、主は救い主を送ります。この方が彼らを救い出すのです。
しかし主は宣言します。 「わたしは立ち上がり、大きな力を天下に示す。
しかし父親は、自分の罪のために死ぬ。
彼らはあたり一帯を見回すが、 いと高き神がいる天には目を向けない。 まるで、いつも的をはずす、曲がった弓のようだ。 指導者たちは、わたしへの傲慢な態度のために 敵の剣に倒れる。 こうして全エジプトが彼らをあざ笑うようになる。
聞きなさい、あなたがたの農場で働いた労働者の叫び声を。あなたがたは彼らの賃金を搾取したではありませんか。彼らの叫びは、万軍の主の耳に達しているのです。
こう言って彼らが外国の神々を取り除き、ひたすら主を礼拝したので、主は彼らをかわいそうに思いました。