敵は私を亡き者にしようと図り、 あらゆる手を打って攻めてきましたが、 主はいつも助けてくださいました。
長い間差別に甘んじてきましたが、 滅ぼされることはありませんでした。 敵には、私の息の根を止めることは できなかったのです。
彼らの手の届かない所に私を置き、 その暴力から守ってください。 彼らは危害を加えようと策略を練っています。
私をお心にかけてくださっているというしるしを、 見せてください。 私が神から助けられ慰められていることを知ったら、 私を憎む者たちは恥をかくことでしょう。
敵よ、私のことで喜ぶな。 私は倒れても、また起き上がるからだ。 たとえ暗闇の中に座っていても、 主が私の光となる。
神の子どもである私たちは、血も肉もある人間です。そこでイエスも、血肉を持った人間の姿でお生まれになりました。それは人間として死ぬことにより、死の権力をふるう悪魔の力を打ち砕くためです。
「そうは言われますが、あなたが知らないだけです。お父上は、私たちが親友だということも、よく知っておられます。だから、『ダビデを殺すことは、ヨナタンには黙っておこう。悲しませるといけないから』と思っておられるに違いありません。主とあなたのいのちにかけて誓いますが、ほんとうに、私は死と背中合わせなのです。」
たとえいのちをつけねらわれても、主の懐にかくまわれているように、いつも安全に守られています。反対に、敵のいのちは、石投げの石のように飛んで消えてしまうでしょう。