あなたのご威光が輝き渡ると、 民はきよい祭服をまとって、 喜んでやって来るでしょう。 あなたは朝露のように、日々新しい力を帯びられます。
御名にふさわしく、ほめたたえよ。 ささげ物を携えて、御前に出よ。 聖なる衣を着けて、主を礼拝せよ。
志願してエルサレムに住む人もあり、そういう人たちは称賛されました。
まぶしいばかりの御名の栄光を覚えて、 主をほめたたえなさい。 きよい衣を着て主の前に出なさい。
きよい生活を守ることによって主を礼拝しなさい。 全地は神の前で震えおののきなさい。
きよさこそ神殿の生命である。神殿が建っている山の頂全域がきよいのだ。これこそ、神殿についてのおきてである。
彼らは抜き身の剣でアッシリヤを支配し、 ニムロデの地(バビロニヤ)の門に入る。 アッシリヤ人が私たちの国に侵入する時、 この方が私たちを救い出す。
しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」
このこと一つ取ってみても、この地方一帯が、どれだけ神のことばによって揺り動かされたかが、よくわかります。
いまイエス様は、天で最も栄誉ある神の右の座についておられます。そして、約束どおり、父なる神は聖霊を送ってくださいました。その結果、たった今、あなたがたが見聞きしたことが起こったのです。
この日、ペテロの言うことを信じた人はバプテスマを受けましたが、その数は全部で三千人ほどでした。
それを聞いた人々は神をほめたたえ、パウロに言いました。「愛する兄弟(信仰を同じくする者)よ。ご存じと思いますが、何万というユダヤ人も、主イエスを信じるようになったのです。彼らはクリスチャンになっても、ユダヤ人はユダヤの伝統と慣習を守り続けるべきだと強く主張しています。
しかし、二人の話を聞いた人たちが大ぜい信じ、信者の数は、男だけで五千人に上りました。
キリストの、人間としての弱い体は十字架上で死にました。しかし今、キリストは、神の偉大な力を受けて生きておられます。私たちもキリスト同様、肉体的には弱い者でしたが、今は、キリストに似て、強くされた者となっています。そして、あなたがたに対処するに十分な神の力をいただいているのです。
ささげる熱意がほんとうにあるなら、いくらささげるべきかは問題ではありません。神様は、持っていないものまでささげるようにとはおっしゃいません。
テトスも私と同じように、心からあなたがたのことを思っています。テトスをこのような気持ちにさせてくださった神に感謝します。
神はこの世界をお造りになる前から、私たちを、ご自分のものとして選んでくださいました。そして、神は私たちを、ご自分の目から見て、何一つ欠点のない、きよい者にしようとお定めになりました。
神は人の心に働きかけて、従おうとする思いを起こさせ、神が望まれる行いができるように助けてくださるのです。
私たちが神に召されたのは、汚れた思いや情欲のとりこになったりするためではなく、きよく清潔な生活を送るためです。
キリストは、私たちの罪のためにご自分をささげ、神のさばきを受けて死んでくださいました。それは、罪のどろ沼にはまり込んでいた私たちを助け出してご自分の民とし、心のきよい、熱心な、善意の人と変えてくださるためでした。
その後、私の目には、おびただしい群衆が映りました。あらゆる国民、民族、国語の人々で、とても数えきれません。彼らは白い衣をまとい、しゅろの枝を手にして、王座と小羊との前に立っていました。
「主をほめたたえよ。 イスラエルの指導者が雄々しく先頭を行くと、 民は喜んで従った。 そうだ、主をほめたたえよ。
喜んで自らをささげるイスラエルの指導者たちの姿に、 どれほど私は喜んだことか。 主をほめたたえよ。