主のおかげで自由の身となれた人は、 大声でそう人に伝えなさい。 主に敵の手から救い出してもらったことを、 ほかの人に知らせなさい。
こうして、主は人々を敵の手から救い出し、
主は、罪の奴隷となったイスラエルを 買い戻してくださいます。
私はたましいを御手にゆだねます。 ああ、約束を守られる神、主よ。 私を助け出してくださったあなただけを礼拝します。 神はどれほど、偽りの神である偶像を拝む者どもを おきらいになることでしょう。
だれもが驚き恐れた。主の大きな力を恐れ、敵もわれわれを襲わない。主が買い取った国民は、何の心配もなく外国人の間を通る。
道にライオンが潜んでいることもなく、 危険な目に会うこともありません。 罪を赦された者だけが、そこを通ります。
しかし、イスラエルよ。あなたを造った主は、 今こう言って慰めてくれます。 「恐れるな。わたしはあなたを買い戻したのだ。 わたしはあなたの名を呼んだ。 あなたはわたしのものだ。
わたしは、あなたの罪をすっかり消した。 それは、昼になると朝もやが消えてなくなるように、 影も形もなくなった。 さあ、わたしのもとに帰って来なさい。 あなたを自由にする代価は支払いずみだ。」
彼らは「聖なる国民」「主に買い取られた者」 と呼ばれ、 エルサレムは「慕わしい地」「神が祝福した都」 と呼ばれるようになります。
わたしの民のかたきを討ち、 虐げる者の手から救い出す時がついに来たのだ。
わたしは必ず、 悪人どもからおまえを助け出し、 彼らの無慈悲な手からおまえを救う。」
イスラエルを、 とても歯が立たない敵の手から救い出すのです。
シオンの娘よ、激しい苦痛に、身もだえしてうめけ。 あなたはこの町を出て、野宿しなければならない。 遠くバビロンへ追放されるのだ。 だが、そこでわたしはあなたを救い出し、 敵の手から解放しよう。
「イスラエルの神、主をほめたたえよう。 主は来て、ご自分の民を解放し、
私たちを敵の手から解放し、 恐れず主に仕える者としてくださった。
私たちは、この方こそ栄光に輝くメシヤで、イスラエルを救うために来られたに違いないと考えていたのですが。ところが、話はそれで終わらないのです。弟子仲間の女たちが、なんとも奇妙なことを言いだしたのです。処刑があった日から、今日で三日目になりますが、今朝がた早く、その女たちが墓へ行ったところ、イエス様のお体は影も形もなかったというではありませんか。しかもその場に天使が現れて、イエス様は生きておられると語ったとか……。
しかし自分の悪い行いのために、私たちが受けなければならないはずののろいを、キリストはご自分の身に引き受け、私たちを律法ののろいから救い出してくださいました。聖書に、「木にかけられる者はだれでも、のろわれた者である」(申命21・23)と書いてあるからです。
エジプトで奴隷だったあなたがたを、主が助け出してくださったことを決して忘れないように、今日、私はこの戒めを与えるのです。
にもかかわらず、主はあなたがたを愛し、先祖への約束を果たされるのです。ただそのためにこそ、驚くべきみわざを行い、エジプトの奴隷だったあなたがたを助け出してくださったのです。
キリストは、私たちの罪のためにご自分をささげ、神のさばきを受けて死んでくださいました。それは、罪のどろ沼にはまり込んでいた私たちを助け出してご自分の民とし、心のきよい、熱心な、善意の人と変えてくださるためでした。