私たちの先祖はエジプトで、 あれほどの奇跡を目撃しながら、感動することもなく、 たちまち数々の恵みを忘れてしまいました。 それどころか、紅海のほとりで、 神に逆らったのです。
主がどれほど大きいことをしてくださったか、 考えてみなさい。 それは、私たちが主のしもべアブラハムと ヤコブの子孫であり、選ばれた民だからです。 さあ、どのようにして敵を滅ぼしていただいたか、 思い起こしなさい。
愛の主は、以前の約束を思い出してあわれみ、
しかしこの私は、 あわれみと愛に守られて、神殿へまいります。 心の底から恐れかしこんで神を礼拝します。
ああ、愛と恵みにあふれる神よ、私をあわれんで、 恐ろしい罪の汚れをぬぐい去ってください。
先祖たちが、エジプトであれほど助けていただき、 すばらしい奇跡を見せていただいたのに、 神を忘れてしまったのです。
神の力も愛も忘れ、 どのようにして敵の手から 救い出していただいたかも忘れました。
「愚か者よ、いつまで聞き分けがないのか。 いつまで知恵をさげすみ、素直に真実を認めないのか。
あなたがたは真理を見て、頭ではわかっていても、 それを心に留めようとも行おうともしない。」
こんな愚かなことがあっていいのでしょうか。神は、見えないようにと彼らの目をふさぎ、理解できないようにと心を鈍くしました。
私は神の恵みを人々に知らせます。 そのなさったすべてのことのゆえに神をたたえます。 私はまた、イスラエルに示された 神の深いあわれみを喜びます。 神は愛によって、あわれみを示したのです。
たとえ、彼に悩みを与える場合でも、 主は恵み深いお方ですから、 忘れずにあわれみをかけてくれます。
預言者イザヤが言ったように、『彼らは見もし、聞きもするが、悔い改めて神に立ち返り、その罪を赦していただくことはない』(イザヤ6・9)のです。
あなたがたも以前は異教徒として、ユダヤ人から、神を信じない「汚れた者」と呼ばれていたことを思い出してください。もっとも、そういうユダヤ人も、神を敬うしるしとしての割礼(男子が生まれて八日目に、その性器の包皮を切り取る儀式)を受けて、信心深そうに儀式や礼拝を守っていたとはいえ、心は汚れたままだったのですが。
エジプトで奴隷だったあなたがたを、主が助け出してくださったことを決して忘れないように、今日、私はこの戒めを与えるのです。
それなのに、今までまるで悟らず、見る目も聞く耳も持ちませんでした。