主に懲らしめられても、腹を立ててはいけません。 あなたを愛していればこそ、そうするのです。 父親がかわいい子どもの将来を思って 罰するのと同じです。
ところが、いざ自分がその身になってみると、 すっかり弱り果て、自暴自棄になっている。
神に誤りを正してもらえる人は、 なんと幸せなことか。 神の懲らしめをないがしろにしてはいけない。 自分で罪を犯し、招いた結果なのだから。
ですから、痛い目に会わせることによって、 私たちを神の道へと導かれるのです。 一方、神は敵に罠をしかけて滅ぼし、 私たちに、ひと時の休息を与えてくださいます。
逆境のとき、苦しみに耐えられない者は弱い者です。
けれども、私たちが主にさばかれ、懲らしめられるのは、この世の人々といっしょにさばかれないためです。
福音を伝えるという、このすばらしい務めに私たちを任命してくださったのは、神ご自身です。それはあわれみによるのです。ですから、私たちは決して落胆しません。
主があなたがたを懲らしめるのは、ちょうど親が子どものためを思って懲らしめるのと同じなのです。
罪人たちの恐ろしい反抗を忍ばれたイエスのことを、いつも思っていなさい。あなたがたが気力を失い、弱り果てることがないためです。
わたしは愛する者を絶えず訓練し、しかったり、懲らしめたりします。ですから、もし神に対して熱い心を持たなければ、わたしの罰を受けることになります。