富がなければ、身の代金目当てに 子どもを誘拐される心配もありません。
ネブカデネザル王は、エルサレムから一万人を捕虜として連れ去りました。多くは、王子、高官、えり抜きの勇士、職人、鍛冶屋でした。貧しい人や、手に職のない人々だけがあとに残されたのです。
貧民街に住む者だけが、土地を耕すために残されたのです。
「いのちが助かるためなら、人はどんなことでもするものです。今度は病気にしてみればいい。ヨブはきっと、面と向かってあなたをのろうでしょう。」
しかし被害者の身内の者が願うなら、補償金を取って釈放することもできる。金額は裁判官が決める。
自分で金持ちだと思っていても貧しい人がおり、 貧乏だと思っていても富んでいる人がいます。
正しい人は明るく生き生きした毎日を送り、 悪者は陰気な日陰の道を歩きます。
知恵のある人は知恵をほめられ、 愚か者は愚かさを軽蔑されます。
どんな償いをしても赦しません。
しかし、すごく貧しいわずかの人たちはそのままユダの各地に残しておき、畑とぶどう園を与えました。
助かった十人は、「隠しておいた小麦、大麦、油、それにみつを必ず持って来るから、いのちだけは助けてくれ」と、イシュマエルに頼んだのです。
残された者は貧しく謙遜な人々で、主の名に信頼する。
たとえ、全世界を自分のものにしても、永遠のいのちを失ってしまったら、何の得になるでしょう。いったい、永遠のいのちほど価値のあるものが、ほかにあるでしょうか。
人のいのちは、食べ物や着る物よりどれだけ価値があるか知れないのです。