正しい人は生きる意味を見つけ、 悪人はただむなしく死んでいきます。
エリヤは、王の前でも臆せずに言いました。「なぜあなたは、ご病気のことで、エクロンの神バアル・ゼブブに伺いを立てようと使者を送ったのですか。イスラエルに神がおられないとでもいうのですか。そんなことをなさったので、あなたは床から離れられないまま死にます。」
こんな行いをしたので、王は床を離れることができないまま死ぬ。』」 エリヤのことばを聞いた使者たちは、すぐ王のもとへ引き返しました。 「なぜ、こんなに早く帰って来たのか?」と尋ねる王に、使者は答えました。
正しい人はもうけたお金を生かして使い、 悪人はお金を手に入れると、ますます悪いことをします。
財産さえあれば大丈夫と高をくくってはいけません。 さばきの日には、 正しく生きる人だけが救われるのです。
神を信じる人はいのちの道を歩いているので、 死を恐れることがありません。
主を恐れることは、幸せで安全な生活のかぎです。
わきまえのない怠け者は、 のたれ死にするしかありません。
正しく思いやりのある者になろうとする人は、 充実した生活を送り、人からもたたえられます。
しかしわたしを見失う人は、自分をだめにする。 わたしの忠告を退ける人は死を愛しているのだ。」
神を礼拝し、また良い行いをして神に喜ばれる人は、どこの国にもいるのです。
罪の支払う報酬は死です。しかし、神が下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠のいのちです。
至る所で正義が行われなければなりません。でなければ、主が与えてくださる地で成功を収めることはできません。
その欲や悪い考えが悪へと駆り立て、ついには、神から永遠に引き離される死の刑罰へと追いやるのです。
そこで今、私たちは、神の子どもと悪魔の子どもとを、はっきり見分けることができます。罪の生活を送り、兄弟であるクリスチャンを愛さない者は、自分から神の家族ではないと証明しているようなものです。
愛する子どもたち。このことで、だれにも惑わされてはいけません。もし、あなたがたがいつも善を行っているなら、キリストと同じように正しく歩んでいるのです。