「待ち伏せして人を襲い、 身ぐるみ巻き上げ、殺そう、
ライオンのように私を引き裂こうと目を光らせ、 若いライオンのようにチャンスをうかがって 待ち伏せしています。
彼らは無実の私にぬれぎぬを着せようと、 罠をしかけ、落とし穴を掘ったのですから。
彼らは計画を練り上げるために集まり、 道ばたに潜んでは、私をねらって待ち伏せています。
彼らは悪いことをするだけが生きがいで、 人殺しは彼らの専売特許なのです。
ところが、彼らは自分で自分を罠にかけているのです。 愚かなことに、罠をかけて 自分のいのちをつけねらっているのです。
悪人は人を責め、神を恐れる人は人をかばいます。
悪者よ。正しい人に手出しをしてはいけません。 正しい人は七度倒れても、 そのたびに起き上がることを知らないのですか。 しかし悪者は、一度つまずくと滅びるのです。
悪いとわかっていながら、どろぼうに手を貸す者は、 いつかは自分にいや気がさします。
私は、ほふり場に引かれて行く子羊や牛のように、先にある危険に少しも気づいていませんでした。彼らが私を殺そうとしているとは、夢にも思わなかったのです。彼らは、「あの男を殺し、口を封じてしまおう。殺して、彼の名を永久に葬り去ろう」と相談していました。
わたしの民のうちに、 人を待ち伏せして血祭りにあげる悪人がいる。 彼らは暗がりに隠れている猟師のようで、 罠をしかけておく。
こうして、『彼らは理由もなしにわたしを憎んだ』(詩篇35・19、69・4)というメシヤについての預言は、そのとおり実現しました。
「もう少しパウロを尋問したいと言って、彼をもう一度議会に立たせるよう、司令官に頼んでいただけないでしょうか。あとは私たちが途中で待ち伏せて、うまく始末します」と願い出ました。
願うことはただ一つ、パウロを直ちにエルサレムに送り返してほしいということでした。彼らは、途中で待ち伏せて殺そうと思っていたのです。