主があなたがたを懲らしめるのは、ちょうど親が子どものためを思って懲らしめるのと同じなのです。
わたしが父となり、彼が息子となる。もし彼が罪を犯せば、外国人を用いて罰する。
ですから、痛い目に会わせることによって、 私たちを神の道へと導かれるのです。 一方、神は敵に罠をしかけて滅ぼし、 私たちに、ひと時の休息を与えてくださいます。
子どもを懲らしめない親は、 その子を心から愛していないのと同じです。 愛している子なら罰するはずです。
主に懲らしめられても、腹を立ててはいけません。 あなたを愛していればこそ、そうするのです。 父親がかわいい子どもの将来を思って 罰するのと同じです。
順境のときには、できるだけ楽しみなさい。逆境が訪れたら、神は与えると同時に取り上げる方だと知りなさい。こうしてすべての人が、この世ではあらゆるものがむなしいと悟るのです。
犬や猫でさえ飼い主の顔を覚えていて、 その恩に感謝するというのに、 わたしの民イスラエルは違う。 どんなに尽くしても、知らん顔なのだ。
彼らは反逆者なのだ。だから、捕囚になることがどんなものか教えるために、実演して見せるがいい。背中にかつげるだけの荷物をかついで、家を出なさい。昼のうちに、みんなが見ている前でそうするのだ。どんな反逆者も、それを見て、その意味することを考えるかもしれない。
深く反省して、罪の道からきっぱり離れ、正しい人生を送ろうと決心したからだ。彼は必ず生きる。決して死ぬことはない。
けれども、私たちが主にさばかれ、懲らしめられるのは、この世の人々といっしょにさばかれないためです。
その後も父親のように気を配り、荒野の旅を安全に守ってくださったことを忘れたのか。』
神である主が結んでくださった契約をあなたがたのほうから破らないよう、くれぐれも注意しなさい。偶像を造ることは重大な契約違反です。
天からの声、地に燃え上がる巨大な火の柱、炎の中から語られる神の声、何もかも驚くことばかりでした。
気をつけなさい。神様がしてくださったことを忘れてはいけません。これから先もずっと、神のなさったみわざを思い出しなさい。子どもにも孫にも、すばらしいみわざについて話してやりなさい。
あなたの神、主の律法を守りなさい。主を恐れ、命じられるとおりに歩みなさい。
わたしは愛する者を絶えず訓練し、しかったり、懲らしめたりします。ですから、もし神に対して熱い心を持たなければ、わたしの罰を受けることになります。