イスラエル人は三十日間、モアブ平原でモーセのために喪に服しました。
やがてヨルダン川を越え、ゴレン・ハアタデ〔「アタデの打ち場」の意〕まで来ました。ひとまずそこで、おごそかな葬式を行い、七日間、ヨセフの父の死を追悼しました。
それだけで四十日かかり、そのうえエジプトの国をあげて、七十日間の喪に服したのです。
バテ・シェバは夫が戦死したことを知り、喪に服しました。
正しい人が滅び、神を敬う人が道半ばで死んでも、 誰ひとり深刻に考えず、不思議にも思いません。 神がそのような人を、災いが来る前に取り去ったことに 気づく者は一人もいません。
アロンが死んだことを聞くと、イスラエルのすべての民は、三十日の間、泣いて悲しみました。
ステパノの遺体は、敬虔なユダヤ人たちの手で、悲しみのうちに埋葬されました。
その時、モーセは百二十歳でしたが、まだ視力は衰えず、体力も若者のようでした。
ヌンの子ヨシュアは、知恵のあるりっぱな指導者でした。モーセがかつて、彼の頭に手を置いて任命したからです。そこで、人々はヨシュアの指導に従い、主がモーセに与えた戒めをそのとおり守りました。
その後まもなく、サムエルが世を去りました。全イスラエルが葬儀に集まり、ラマにある一族の地所の一角に葬りました。一方、ダビデはパランの荒野に下って行きました。