どうだ、よくわかったか。 ほんとうの神はわたしだけなのだ。 殺すも生かすも、 傷つけるのも癒やすのも、思いのまま。 わたしの手から救い出せる者はいない。
「わたしの民の指導者ヒゼキヤのもとに引き返して、こう告げなさい。先祖ダビデの神、主は、王の祈りを聞き、涙を見た。わたしは彼を癒やそう。三日後には、彼は床から起き上がり、神殿の前に立つ。
イスラエルの王は手紙を読むと、服を裂いて言いました。「シリヤの王め、ツァラアトの者をよこして、病気を治してくれと無理難題を吹っかけてきている。私は殺したり、生かしたりできる神だろうか。これは、侵略の口実を見つける罠に違いない。」
エズラは声を出して祈りをささげました。「ただおひとりの神様。神様は天と地と海、そして、その中に存在するすべてのものをお造りになり、すべてのものを支えておられます。天の御使いたちもみな、ひれ伏しています。
ところが、あなたのほんとうのねらいは、 もし私が罪を犯したら断じて赦さず、 滅ぼすことにあったのです。
神は傷つけても包帯を巻き、治してくださる。
あなたご自身は永遠に不変です。
そして私たちの家系も、あなたの守りのもとに 世代から世代へ継承されていくのです。」
私たちの主のほかに、だれが神でありえましょう。 だれが不動の岩でありえましょう。
神を忘れ去った者へ、最後のチャンスを与えよう。 わたしはおまえを引き裂こうとしている。 だれもおまえを助けることはできない。
罰は受けます。 でもそののち、喜びを取り戻させてください。
神は私たちを解き放ち、死から救い出されます。
あなたは偉大で すばらしい奇跡を行われます。 あなただけが神です。
「もしもあなたがわたしに従い、正しいことを行うなら、エジプト人を悩ませた病気であなたが苦しまなくてすむようにしよう。わたしはあなたを癒やす主である。」
「もう一度ふところへ入れなさい。」すると不思議なことに、ツァラアトはすっかり治っていました。
殺す時、病気が治る時、壊す時、やり直す時、
主はエジプトを打ちのめしたあとで、もう一度建て直すのです。エジプト人が素直に主を信じるので、願いを聞き入れ、すべてを元どおりにします。
主がご自分の民の傷をいやすときには、月は太陽のように明るくなり、太陽の光は七倍も明るく輝くのです。
その進撃によって歴史は大きく塗り変えられる。 こんな途方もなく大きなことを演出したのはだれか。 それはわたし、 初めであり終わりである、このわたしだ。 わたしこそが主である。
わたしには証人がいる。 イスラエルよ、あなたがたがわたしの証人、 わたしのしもべだ。 わたしを信じ、わたしだけが神であることを知るために 選ばれたのだ。 わたしのほかに神はいない。 今までも、またこれからも。
あなたがたが偶像を捨てるとき、 わたしは力を示した。 ただひと言で、あなたがたを救った。 あなたがたはわたしの救いをその目で見たのだから、 わたしの証人だ。
永遠から永遠まで、わたしは神である。 わたしが何かをしようと身を起こすとき、 その前に立ちはだかる者はだれもいない。」
主は天と地を造り、 すべてのものをあるべき所に置きました。 世界を何もない空間ではなく、 人の住む所として造ったのです。 主は語ります。 「わたしは主で、ほかに神はいない。
すべての人々よ、わたしだけが神なのだから、 わたしを仰ぎ見て救われなさい。
わたしは主である。 わたしのほかに神はいない。 たとえあなたがわたしを知らなくても、 わたしはあなたを強くし、 どの戦いにも勝利を得させる。
あなたがたが生きている間、 年をとり、頭が白くなっても、 わたしはあなたがたの神となる。 わたしがあなたがたを造ったのだから、 あなたがたを背負い、救い出そう。
わたしの民、わたしの選んだ者たちよ、 わたしの言うことを聞け。 わたしだけが神だ。 わたしは初めであり、終わりである。
神である主はこう語ります。「そんな彼らに告げよ。わたしの民よ。わたしは捕囚という墓を開いて、あなたがたを生き返らせ、イスラエルの地に連れ戻す。
こう語りました。「人の子よ。これらの骨は、また元のように生きた人間になれるだろうか。」私は、「主よ。その答えは、あなただけがご存じです」と答えました。
ライオンが獲物を引き裂くように、 わたしはエフライムとユダとを引き裂き、連れ去る。 彼らを助けようとする者たちを追い散らす。
『さあ、主に帰ろう。 私たちを引き裂いたのは主だ。 その方が治してくださる。 主は傷つけたが、手当てしてくださる。
イスラエルはライオンのように強くなり、 その前で、世界の国々は羊のようにおとなしくなる。
だから、『あなたがたは罪が赦されないまま死ぬ』と言ったのです。わたしが神の子、メシヤであることを信じなければ、罪ののろいの下で死ぬしかないからです。」
主だけがイスラエルを指導し、 国民が外国の神々を知らずにいた時、
ご自分こそほんとうの神であり、ほかに神はいないことをわからせるためです。
このように主は誠実なお方なので、約束されたことは千代のちまでも守り、主を愛し、命令を守る者に最善のことをしてくださいます。
いつかあなたは、それらを捨て、 別のものと取り替える。 しかしあなたは、決して変わらず、 あなたの年には終わりがない。」(詩篇102・25―27)
こう語りかけました。「わたしは初めであり、終わりである。これからあなたの目に映ることを書き記し、アジヤにあるエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤの七つの教会に送りなさい。」
スミルナにある教会の指導者に、次のように書き送りなさい。『この手紙は、初めであり、終わりであり、死んでのち復活された方からのものです。
主は殺し、 主はいのちをお与えになります。