「モーセよ、あなたは死んで先祖の仲間に加えられる。そのあとこの民は、約束の地で外国の神々を拝むようになる。わたしのことなどすっかり忘れ、平気で契約を破るだろう。
あなたは天寿を全うし、安らかにこの世を去るだろう。
最期が迫った時、ヤコブはわが子ヨセフを呼んで言いました。「最後の願いだ。必ず守ると誓ってくれ。決して私をエジプトに葬ってはならない。
私が死んだらエジプトから運び出し、先祖のかたわらに葬ってくれ。」ヨセフが約束すると答えると、
あなたが世を去っても、息子の一人を王座につかせ、わたしは王国を強固にしよう。
王様がはっきり決着をつけてくださらないと、ソロモンも私も、あなたがお亡くなりになったとたん、謀反人として捕らえられ、処刑されることになるでしょう。」
エリヤは答えました。「災難の張本人はあなたのほうです。あなたもあなたのご一族も、主を捨ててバアルを拝んでいるではありませんか。
「私は、天地の支配者である神、主のために一生懸命に働いてきました。ところが、イスラエルの民はあなたと交わした契約を破って祭壇を壊し、あなたの預言者たちを殺しました。彼らは今、一人生き残った私まで殺そうとしています。」
そうなったのは、彼らが彼らの神、主に聞き従わず、その命令を守らなかったからです。それどころか、彼らは主との契約を踏みにじり、主のしもべモーセが与えたすべてのおきてに背いたのです。
そのころ、ヒゼキヤは重病をわずらい、明日をも知れぬ身となりました。預言者イザヤは彼を訪ねて来て言いました。「身の回りを整理しておかれますように。病気は治らない、と主のおことばがありました。」
そのうえ、ヨラムはユダの山々に偶像の宮を建て、エルサレムの住民を偶像礼拝に誘ったばかりか、人々に偶像礼拝を強要さえしたのです。
彼がまだ若くても、その骨はちりの上に横たわる。
偶像を愛することは、 神の目から見れば姦淫の罪であり、 自分自身を汚すことになりました。
神をあがめない者は滅びます。 神は、ほかの神々に仕える者を滅ぼされるからです。
彼らは次の日、朝早く起き、子牛の像に、焼き尽くすいけにえと和解のいけにえとをささげました。そのあと、彼らは座り込んで食べたり飲んだりし、乱痴気騒ぎに興じました。
その地の住民と、どんな契約も結んではならない。彼らは、偶像を慕ってみだらなことをし、神々にいけにえをささげることによって姦淫を行っている。万一あなたが彼らと親しくなり、食事に招かれると、偶像にささげられた食物を拒むことができなくなるだろう。
わたしは全く新しいことを告げる。 あなたがどんなにひどい裏切り者で、 ものごころついたころから背き続け、 芯まで腐りきっているかをよく知っているからだ。
それは、わたしが彼らの先祖の手をとってエジプトから導き出した時、結んだようなものではない。彼らがそれを破ったので、やむなく、わたしは彼らを見捨てた。
もしかしたら、彼らは悪の道を離れ、手遅れにならないうちに主に赦しを求めるかもしれない。もっとも、ここに書かれている神ののろいは、すでに宣告ずみなのだが。」
しかしあなたは、自分の美しさを鼻にかけ、それさえあれば、わたしなしでもやっていけると考えた。そして、やって来る男には、だれかれかまわず、娼婦のように身を任せた。その美しさは、それを求める男のものになり下がった。
最初に告げられたのはこうです。「遊女と結婚せよ。その女から生まれる子どものうちには、ほかの男が父親である子もいる。そのことは、わたしの民がわたしに対して不誠実であることを表している。彼らは他の神々を礼拝し、わたしを無視して、堂々と姦淫をしている。」
彼らは守る気もないのに約束をします。 そのため、畑のうねの間に生える毒草のように、 さばきが彼らの間に生え出るのです。
おきてを無視するなら、
そのあと、あなたは兄のアロンと同じように天に移される。
これは、ダビデのことではありません。ダビデは神の意思に忠実に仕える人生を送り、死んで葬られ、その体は朽ち果てたのです。
あれほど禁じたのに外国の神々を拝む者には、わたしもきっぱりと背を向けるだけである。
イスラエルはじきに満腹し、丸々と太った。 ぜいたくに慣れて高慢になり、 自分を造った神を捨て、 救いの岩を軽んじた。
兄のアロンがホル山で死に、先祖の仲間入りをしたように、あなたもその国を見たら、先祖の仲間入りをしなければならない。
モーセは生涯、神に忠実に仕え、主が言われたとおりモアブの国で死にました。
この先、あの地に定住し、子や孫が生まれてから悪を行い、正しい信仰を捨てて偶像を造りでもしたら、主はお怒りになり、
その審判は正しく、真実だからです。神は、不品行によって地上に悪をはびこらせた、あの淫乱な女を処罰し、神に仕える者たちが殺されたことに復讐されたのです。」
それなのに、あなたがたはわたしを捨て、性懲りもなくほかの神々を拝んでいる。勝手にするがいい。もう助けることはしない。
するとまたも、イスラエルの民は主から離れ、バアルやアシュタロテといった異教の神々を拝み、シリヤ、シドン、モアブ、アモン、ペリシテの神々に仕えるようになりました。そればかりか、真の神を礼拝することなど、きれいさっぱりやめてしまったのです。
彼らは主に禁じられたことを次から次に行い、異教の神々を拝むことさえしました。
イスラエル人をエジプトから連れ出し、先祖たちが慕い礼拝してきた神、主を捨ててしまったのです。そればかりか、近隣諸国の偶像にひれ伏し拝んだので、主の怒りが全イスラエルに対して燃え上がりました。主に背を向け、バアルやアシュタロテのような偶像を拝むイスラエル人を、主は敵のなすままに任せたのです。