もはや行くこともないだろうと言われたエジプトへ、主は船で人々を連れ帰ります。そこで自分を奴隷として敵に身売りしようとしても、買ってくれる者もいません。」
私はその法廷で、彼らを告発しました。「私たちはみな、遠い国での奴隷生活から引き揚げて来た者たちを援助しようと、できるだけのことをしてきた。それに対して、君たちは無理やり彼らを奴隷に戻そうとしている。私はいったい何度、彼らを買い戻せばよいのか。」彼らは、全く反論することができませんでした。
このままでは、私も同胞の者たちも助かるすべはありません。皆殺しにされる運命なのです。奴隷に売られるだけなら、口をつぐんでもいられました。もちろんその場合でも、陛下は測り知れない損失をこうむられたでしょう。実際、それはお金では償えないほどのものでございます。」
このようにしてついに、エジプトの王ファラオはイスラエル人を行かせることになりました。 さて、エジプトから約束の地へ行くには、ペリシテ人の地を通るのが最も近道でしたが、神は別の道を通るようにしました。人々はエジプトを出る時、一応は武装していましたが、道中ずっとペリシテ人と戦うのはつらいことです。みな勇気を失って、またエジプトへ帰ってしまうかもしれません。そこで神は、紅海を通る荒野の道へ行かせたのです。
「わたしは、あなたをエジプトの奴隷生活から救い出した、あなたの神、主である。
エジプトのタフパヌヘスに着きました。彼らは主のことばに従わなかったのです。
エジプトに来ることを強く主張した、生き残りのユダヤ人を皆殺しにする。彼らはこのエジプトの地で倒れ、ききんと剣でいのちを失い、身分の高い者も低い者も、一人残らず死ぬ。彼らはさげすまれ、忌みきらわれ、のろわれる。
この民は、いけにえの儀式を好むが、 わたしにとっては無意味なものだ。 わたしは彼らの罪の清算を要求し、罪を罰する。 彼らはエジプトに戻る。
あなたはこの神の地にこれ以上とどまることができず、 エジプトやアッシリヤに連れ去られる。 そこで残飯を食べて暮らすようになる。
ところが、『主人はまだまだお帰りになるまい』とたかをくくり、召使たちを打ちたたき、食べたり飲んだりしていたらどうでしょう。
人々は敵の手にかかって、むごい殺され方をするでしょう。また、捕虜となって多くの国々に連れ去られたり、追放されたりする人もいます。エルサレムは占領され、神の恵みの時が来て、外国人の勝利の期間が終わるまで、彼らに踏みにじられるのです。
王は自分のために大きな馬屋を建てたり、馬を買いにエジプトへ部下をやったりしてはいけません。主が、『二度とエジプトへ帰ってはならない』と言われたからです。
朝がくると、『夜になればいいのに』と言い、夜になれば、『朝がくればいいのに』とため息をつきます。そう言わずにはいられないほど、恐ろしいことばかり起こるのです。
神である主がホレブ山(シナイ山)でイスラエル人と結ばれた契約を、モーセがもう一度語ったのは、モアブ平原においてでした。