さらに和解のいけにえをささげ、あなたの神、主の前で喜び祝いなさい。
ごちそうを食べてお祝いし、貧しい人には施しをする日なのだ。神である主を喜ぶことこそ、あなたがたの力なのだ。しょんぼりと悲しそうにしていてはいけない。」
救いの泉から十分に飲める喜びを、 何にたとえたらいいのだろう。」
神が私をどんなに幸福にしてくださったか、 お話ししましょう。 神は私に救いの衣を着せ、 正義の外套をかけてくださいました。 私はまるで、婚礼の服をまとった花婿、 宝石で身を飾った花嫁のようです。
嘆き悲しむすべてのイスラエル人に、 神は与えます。 灰の代わりに美しさを。悲しみの代わりに喜びを。 重い心の代わりに賛美を。 神はご自分の栄光のために、 優雅で強い樫の木のように彼らを植えたのです。
私は主を喜びます。 私を救ってくださる神のおかげで幸せです。
イスラエル人に伝えられた神のみことばについては、すでにお聞きでしょう。全人類の主である救い主イエスによって、私たちが神と和解できるということです。この教えは、バプテスマのヨハネが語り始め、ガリラヤからユダヤ全土に広まりました。
ですから、信仰によって神の目に正しい者とされた私たちは、主イエス・キリストによって、神との間に平和を得ています。
私たちが神の敵であった時でさえ、ひとり子の死によって、神のもとに連れ戻されたくらいですから、私たちが神の友となり、神が私たちのうちに生きておられる今は、どんなにかすばらしい祝福が備えられていることでしょう。
主の前で、子どもたちや使用人たちとともに祝いなさい。祝いには、同じ町に住む領地を持たないレビ人も忘れずに招きなさい。
そこで家族とともに主の前で食事をし、恵みを喜び祝いなさい。
こうして、家族をはじめ家中の者が、主の前で共に喜び合うのです。この祝いには、同じ町に住むレビ人、外国人、未亡人、身寄りのない子も招待しなさい。
家族も使用人も共に楽しく過ごします。同じ町に住むレビ人、外国人、身寄りのない子、未亡人も忘れずに招待しなさい。
重ねて言いますが、記念碑にこの律法のことばをすべてはっきりと書き記しなさい。」
肉体の一部を切り取りさえすれば、神の子どもになれるのではありません。霊をもって神を礼拝する者こそ、神の子どもなのです。その礼拝こそが、ただ一つの真の「割礼」です。クリスチャンが誇れることと言ったら、キリスト・イエスがなしてくださったみわざだけです。自分で自分を救うことなどとてもできないと、よく知っているはずです。
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
キリストの十字架の血によって、天と地のすべてのものが神のもとに行く道を開いてくださいました。神の子キリストが十字架の上で死なれたことにより、すべてのものが、神との平和な関係を持つに至ったのです。