さて、イスラエルはモアブの平原に移り、ヨルダン川の東側、ちょうどエリコの町の反対側あたりに野営しました。
モアブや、アモン人のところ、エドム、その他の近くの国々にいたユダヤ人たちは、ユダにはわずかながらもまだ人々が住んでいること、バビロン王は全員を連れて行かなかったこと、ゲダルヤが総督になったことなどを聞きました。
モアブ平原の谷まで行きました。そこはピスガ山のふもとで、山頂からは荒野がはるかに見渡せました。
そこで二人は、族長全員に調査を命じました。ちょうど、ヨルダン川の東側、エリコの向かいあたりにあるモアブ平原に野営している時でした。
捕虜を引っ立てて、戦利品を山ほどかかえて意気揚々と引き揚げて来た一行を、モーセや祭司エルアザルをはじめ指導者たちが迎えました。その時、人々はまだヨルダン川の東側で、エリコに向かい合うあたりのモアブ平原に野営していました。
ヨルダン川のこちら側の土地さえ頂ければ、向こう側の土地はいりません。」
次のことばも、ヨルダン川のほとりに広がるモアブ平原に野営している時、主がモーセに伝えたものです。
以上が、エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブ平原で、イスラエルの人々が宿営していた時、主がモーセを間に立て、人々に伝えた命令とおきてです。
こうして、エモリ人の二人の王を滅ぼし、ヨルダン川の東側に広がる、アルノン渓谷からヘルモン山までの全地域を占領したのです。
モーセはモアブ平原から、エリコの向かいにあるネボ山に登り、ピスガの頂に立ちました。主に示されるままに約束の地を眺めると、ギルアデのずっと向こう、はるかかなたのダンまで見渡せます。
イスラエル人は三十日間、モアブ平原でモーセのために喪に服しました。
突然、はるか川上のツァレタン付近の町アダムで水はせき止められ、盛り上がり始めたのです。また、その地点より川下の水は塩の海(死海)に流れ込み、ついに川床がむき出しになりました。こうして人々はみな、エリコの町に向かって渡ったのです。