案の定、山地に住んでいたアマレク人やカナン人が彼らに襲いかかり、彼らはやっとの思いでホルマまで逃げました。
戦場では、王の手から剣をたたき落とし、 見殺しになさいました。
南にはアマレク人、山地にはヘテ人、エブス人、エモリ人、地中海沿岸とヨルダン川流域には、カナン人が住んでいます。」
そこにはアマレク人やカナン人がいるのを忘れたのか。おまえたちが主を見捨てたから、今度は主がおまえたちをお見捨てになるのだ。」 モーセが止めるのも聞かず、
主はモーセに命じて、人々にこう言わせました。「あなたがたの子が、ついにわたしの与える地に住み、
願いは聞かれ、彼らはカナン人と彼らの町を滅ぼしました。そこをホルマ〔「全滅」の意〕と呼ぶようになったのは、この時からです。
案の定、結果はさんざんでした。エモリ人の返り討ちに会い、逆にセイルからホルマのあたりまで激しく追撃されてしまったのです。
彼らの岩である主が見捨てず、 滅ぼそうとされなかったら、 一人の敵が千人を追い散らし、 二人が万人を敗走させることもなかったろうに。
戦闘中に三十六人ほどが殺されたうえ、大ぜいの兵士がアイの住民に石切り場まで追われ、次々に倒れました。イスラエル軍は、この敗北ですっかりおびえてしまいました。
そののちユダ軍はシメオン軍の加勢を得て、ツェファテの町に住むカナン人を打ち、彼らを滅ぼしました。今でも、その町はホルマ〔「絶滅」の意〕と呼ばれています。
その間、ダビデとその部下はゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲いました。その人々は昔から、エジプトに通じる道沿いの、シュルの近くに住んでいたのです。
ペリシテ軍はイスラエル軍を撃破し、イスラエルでは約四千人の犠牲者が出ました。