「おまえは二人のことをねたんでいるようだ。だが、私は、イスラエル人がみな主の霊を頂き、預言者になってくれたらどんなにいいかと思っているのだ。」
そしてあなたがたは、わたしの民イスラエルの中に わたしが確かにいることを、また、わたしだけが あなたがたの神、主であることを知る。 わたしの民は、 再びこのような打撃をこうむることはない。
主はこう告げます。 「ユダとエルサレムの繁栄を回復させるその時、
こう答えると、モーセは長老たちと共に野営地に帰りました。
その時、イエスは彼らに、次のような注意をお与えになりました。「収穫はたくさんあるのに、働く人があまりにも少ないのです。ですから、収穫の責任者である主に、もっと大ぜいの働き手を送ってくださるように願いなさい。
「お話ししたことが短かろうと長かろうと、そんなことはかまいません。私がひたすら神にお願いするのは、あなた様をはじめ、ここにおられる皆さん全部が、私と同じようになってくださることです。もちろん、この鎖につながれることは別ですが……。」
愛は寛容であり、親切です。愛は決してねたみません。また、決して自慢せず、高慢になりません。
私はあなたがたがみな異言を語ることを望んでいますが、それにもまして、神のことばを語って預言することを望みます。なぜなら、聞いたこともないことばで話すよりも、預言することのほうが、はるかにまさっており、有益だからです。もっとも、異言のあとで、その内容をわかるように説明できるなら、それも少しは役立つでしょう。
ですから、この世の知者の弟子であることを誇ってはなりません。神様はすでに、あなたがたに必要なものは全部与えてくださっているのです。
相変わらず、よちよち歩きもおぼつかないクリスチャンで、それは、あなたがたがねたみ合い、仲間割れをしていることからも明らかです。実際、あなたがたの態度ときたら、まるで主を信じていない人のようです。
自己中心であったり、見栄を張ったりしてはいけません。謙遜になって、他の人を自分よりもすぐれた者と考えなさい。
「神が私たちのうちに住まわせてくださった聖霊は、ねたむほどの愛をもって、私たちを見守っておられる」と書いてある聖書のことばを、どう理解しているのですか。
互いに文句を言い合ってはいけません。自分だけは人から非難されない自信でもあるのですか。見なさい。偉大な裁判官である主が、すぐそこまで来ておられます。
ですから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口を捨てなさい。
その時、神の霊が激しく下り、あなたも共に預言を始めます。すると、全く別人になったように感じ、またそうふるまうに違いありません。