神はその願いを聞き入れ、彼の求めに答えて、マナセをエルサレムの自分の王国に戻しました。こうしてマナセは、主こそ神であることを知ったのです。
イサクは、リベカに子どもが与えられるようにと、主に祈りました。結婚して何年もたつのに、なかなか子どもが生まれなかったからです。主はその祈りを聞き、ようやく彼女は妊娠しました。
それを見た民は、その場にひれ伏し、「主こそ神だ! 主こそ神だ!」と叫びました。
あなたの民の悪事をみな赦し、彼らを捕らえた者にあわれみの心を起こさせてください。
しかし、エホアハズ王が助けを祈り求めると、主はその願いを聞き入れました。シリヤの王がイスラエルをひどく苦しめるのを見たからです。
ひたすら神に信頼したので祈りが聞かれ、ハガル人とその連合軍をみごとに打ち破ることができました。
このへりくだった様子を見た主は、シェマヤにこう語らせました。「あなたがたがへりくだったので、すべて滅ぼすようなことはしない。シシャクの手によって、エルサレムに怒りを注ぐことはやめよう。
マナセ王のその他の業績、王が神にささげた祈り、預言者たちを通しての神の答えについては、『イスラエル諸王の年代記』に記されています。
王の祈りと、それが神に聞き届けられたこと、および悔い改める前に犯した罪や失敗についての報告は、預言者たちの言行録に包み隠さず記されています。その中には、王が偶像の宮を築いたり、恥ずべき像や刻んだ像を置いたりした場所が挙げてあります。
あなたが、この町と住民へのわたしのことばを聞いた時、心から悲しみ、神の前にへりくだって、絶望のあまり衣を裂き、わたしの前で泣いたので、あなたの祈りを聞き入れよう。
ああ、私たちが代々信じてきた神はすばらしい方です。主は王に働きかけ、エルサレムの神殿は美しさを取り戻しました。
そこで、私たちは断食して、神の守りを願い求めました。すると神は祈りに答えてくださいました。
神の教えに耳を傾け、それを心にたくわえるのだ。
神に立ち返り、いっさいの悪を閉め出せば、 あなたは元どおり栄える。
祈れば神が答えてくれるので、 あなたも神への約束をみな果たすようになる。
彼らが神に従うなら、 一生の間祝福されて繁栄する。
災いが起こった理由を示し、 どのような悪いことをしたのか、 またどのように思い上がっていたかを指摘してくれる。
八方ふさがりの中で、 彼らが主に助けを求めた時、 その願いは聞かれました。
「よく聞きなさい。 わたしこそ神であることを、よくよく知りなさい。 わたしは全世界でほめたたえられる。」
天の軍勢の主は、確かに私たちの味方です。 ヤコブの神であるこのお方が、 駆けつけて助けてくださいました。
主は恵み深いお方で、 赦すのをためらったりなさいません。 助けを求めて来る人にはだれにでも、 あふれるほどにあわれみをかけてくださいます。
主を喜ばせようとすれば、 その人の最大の敵も、主が味方に変えてくれます。
灌漑の水が流れ込むように、 主は王の心を思いのままに動かされます。
わたしに対して正しく応答する心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは大喜びで、わたしのもとに帰って来るからだ。
もしかしたら、彼らは悪の道を離れ、手遅れにならないうちに主に赦しを求めるかもしれない。もっとも、ここに書かれている神ののろいは、すでに宣告ずみなのだが。」
すると、あなたはその叫びを聞いてくださいました。 私の訴えに耳を傾け、 私の泣き声を聞かれたのです。
国民があなたを宮殿から追い出します。あなたは動物のように野に住んで、牛のように草を食べ、背中は天の露でぬれるでしょう。いと高き神が人間の国々を支配し、お選びになった者に支配権を与えるということを、王が悟るまでの七年間、このような生活が続きます。
宮殿から追い出され、七年間、野の動物たちと共に住み、牛のように草を食べるのだ。それでやっと、神が人間に国々を分け与え、お選びになった者に国を与えることを悟るだろう。」
正気に戻った時、私の名誉も光栄も、王国も戻って来た。参議官も役人も戻って来てくれたので、私は以前にもまさる栄誉に包まれ、王位を確立することができた。
神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。
ただ一人のまことの神であるあなたと、あなたがこの地上にお遣わしになったわたしを知ること、それが永遠のいのちを得る道です。
「もし、神があなたにどんなにすばらしい贈り物を用意しておられるか、また、わたしがだれなのかを知っていれば、あなたのほうから、いのちの水を下さいと願ったでしょう。」
主は、あなたがたが定住して、パンを作る麦を植えたり、ぶどう酒や強い酒を作るぶどうの木を育てたりするのをお許しになりませんでした。それは、あなたがたの世話をしてきたのがあなたがたの神、主であることをわからせるためです。
その日にはだれも、友人や隣人、兄弟に向かって、『あなたも、主を知りなさい』と言う必要がなくなる。なぜなら、どんな人でも、わたしを知るようになるからだ。