アマツヤ王は正しいことを行いましたが、いつも本心からとは限りませんでした。
それでも、高台の礼拝所だけは取り除かなかったので、民は相変わらず、そこでいけにえをささげたり、香をたいたりしていました。
ヨアシュ王は、祭司エホヤダが生きている間は、主を喜ばせようと一生懸命に努めました。
エドム人を打ち破ったアマツヤ王は、セイルの人々の偶像を持ち帰っただけでなく、偶像を神々として祭り、その前に頭を下げ、香までたいたのです。
王としての地位が固まると、彼は父の暗殺者を処刑しました。
ウジヤは父アマツヤの足跡にならい、おおむね、主の目に良い王でした。
本心は遠く離れていたので、 約束もすぐに破ってしまいました。
そこで主は語ります。 「この民は、口先ではわたしの民だと言いながら、 実際にはわたしに従っていない。 彼らの礼拝は、機械的に覚えた文句の反復にすぎない。
イスラエルの民の心は神への偽りで満ちている。 彼らには罪があり、刑罰を受けなければならない。 神は彼らの作った異教の偶像を砕き、 その祭壇を打ち壊す。」
心が神の前に正しくないのに、この特権がいただけるはずがない。
神に近づきなさい。そうすれば、神も近づいてくださいます。罪ある人たちよ。罪の生活から足を洗いなさい。純粋で真実な心の持ち主だと認めてもらえるように、神への思いで心を満たしなさい。
しかし、主は言いました。「容貌や背の高さで判断してはいけない。彼ではない。わたしの選び方は、あなたの選び方とは違う。人は外見によって判断するが、わたしは心と思いを見るからだ。」