ペリシテ人さえも贈り物と貢ぎ物を納め、アラビヤ人は雄羊七千七百頭、雄やぎ七千七百頭を献上しました。
また、モアブの地を襲った時には、捕虜を列に並ばせたうえ、地面に伏させ、各列の三分の二の者を殺し、残り三分の一を助けました。助かったモアブ人はダビデのしもべとなり、毎年、貢ぎ物を納める者になりました。
ツロの王ヒラムは、かねてから大のダビデ支持者でした。それで、ダビデの子ソロモンがイスラエルの新しい王になったと聞くと、さっそく祝いの使者をソロモンのもとに送りました。
モアブの王メシャは羊を飼っており、毎年イスラエルに子羊十万頭と雄羊十万頭分の羊毛とを貢ぎ物として納めていました。
こうして、ヨシャパテ王はますます勢力を増し、国中に要塞の町や補給基地の町を建てました。
主は、ユダの王としてのヨシャパテの地位を確固たるものにしました。すべてのユダの人々が納税に協力したので、彼は人気が高まったばかりか、財産も増えました。
主は、エチオピヤ人の近くに住むペリシテ人とアラビヤ人を奮い立たせ、ヨラム王を攻撃するよう仕向けました。
アモン人はウジヤ王に、貢ぎ物を納めるようになりました。彼の勢力は強大になったので、その名声は遠くエジプトにまで伝わりました。
彼らはおのおの、金や銀の鉢、衣服、武器、香油、馬、らばなどを、年ごとの贈り物として携えて来ました。
バビロンは二度と立ち上がれず、 永久に人が住みつかない。 遊牧の民でさえ、そこにテントを張らず、 羊飼いも、そこでは羊の群れを休ませない。
アラビヤ人もケダルの裕福な君主たちも、子羊、雄羊、やぎを持参した。