それでも、悩みにぶつかって、イスラエルの神、主に立ち返り、主を探し求めたとき、主はいつも助けてくださいました。
こうして、ユダの人々はこの誓いを喜び祝いました。心を尽くして誓いを立て、他のすべてにまさって主を慕い求め、主が彼らにご自分を示したからです。主はユダの国のすみずみにまで平和をもたらしました。
アザルヤは、戦場から帰ったばかりのアサ王に会い、次のように言いました。「アサ王様、ならびにユダとベニヤミンの兵士たちも、私の申し上げることを聞いてください。あなたがたが主とともにいる限り、主もあなたがたとともにおられます。もしあなたがたが主を求めるなら、主はあなたがたにご自分を示してくださいます。しかし、もし主を捨てるようなことがあれば、主もあなたがたを捨てます。
その時になって王はようやく本心に立ち返り、へりくだって神に助けを求めました。
それでもなお、主はその叫びを聞き、 その苦境を思いやってくださいました。
自由の身となることを願い、主を尋ね求める者よ。 わたしの言うことを聞け。 あなたがたが掘り出された採石場、 切り出された岩を見よ。 先祖アブラハムとサラのことを考えてみよ。 あなたがたは、力がなく数も少ないと思い悩んでいる。 だが、わたしがアブラハムを呼び出したとき、 彼はたった一人ではなかったか。 それが祝福を受けて、大きな国になった。
見いだすことのできる間に主を探し求めなさい。 近くにいる間に主を呼び求めなさい。
悪事を捨て、悪いことをしようとする思いを、 きっぱりと捨てなさい。 主に立ち返るなら、 主はあなたをあわれんでくださいます。 私たちの神に帰りなさい。 神は赦してくださいます。
『さあ、主に帰ろう。 私たちを引き裂いたのは主だ。 その方が治してくださる。 主は傷つけたが、手当てしてくださる。
だが、あなたがたが主のもとに帰りさえすれば主もあなたがたのもとに帰る。
後に、イザヤも大胆にこう言っています。 「捜し求めもしなかった人々によって 神は見いだされる。」(イザヤ65・1)