「私は今、主からほんとうに祝福していただいた。正真正銘の祭司がいるのだから」と、彼は感激して言いました。
だれでも、広く歩きやすい道が正しい道と考えますが、 それは死に通じる道です。
人にだまされている哀れな者は灰を食べます。何の助けにもならないものを頼りにしているからです。彼はまともな考え方ができません。「この手に握っている偶像は偽の神ではないか」と自分に問うことができないのです。
しかし、イエスは言われました。「わたしの父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎ抜かれてしまいます。
彼らがわたしを拝んでも、むだなことだ。 神のおきての代わりに、 人間の規則を教えているのだから。』(イザヤ29・13)」
会堂から追放され、いのちまでつけねらわれる身になることを覚悟しなさい。事実、あなたがたを殺すことで神への奉仕を果たすのだと、人々がとんでもない思い違いをする時が来ます。
かつて私は、ナザレのイエスの弟子は撲滅すべきだと堅く信じていました。
ミカはおかかえの祭司を得たのです。
こうした話でもわかるように、そのころイスラエルには王がいませんでした。さて、ダン族は自分たちの相続地を得ようとしていました。まだ割り当て地を攻め取っていなかったからです。
ミカは答えました。「『どうしたのだ』とは、しらじらしい。私の神々から祭司まで、いっさいがっさい持ち出しておきながら。家が空っぽになっているではないか!」