アダム――百三十歳で、自分によく似た息子セツが生まれる。彼はセツの誕生後さらに八百年生き、息子と娘に恵まれ、九百三十歳で死んだ。
さて、エバは男の子をもう一人産み、セツ〔「授けられた者」の意〕と名づけました。エバが言うように、「カインに殺された子アベルの代わりに、神様がまた男の子を授けてくださった」のです。
神はまず男と女を造り、彼らを祝福しました。そして彼らを「人」と呼んだのです。
生まれつき汚れている者に どうしてきよさを求めることができましょう。
人にすぎない者が、神の前に立ち、 自分は正しいと主張できようか。 胸を張って、自分は潔白だと言いきれる者は、 この世界にただの一人もいない。
私は生まれながらの罪人です。 母が私をみごもった時から、罪人でした。
「聖霊があなたに下り、神の力があなたをおおうのです。ですから、生まれてくる子どもは聖なる者、神の子と呼ばれます。
人間からは人間のいのちが生まれるだけです。けれども御霊は、天からの、全く新しいいのちを下さるのです。
アダムが罪を犯した時、罪が世界に入り込みました。アダムの罪によって死が全人類に広まり、すべての人は死ぬように定められました。それというのも、すべての人が罪を犯したからです。
いろいろな種類の種や植物があるように、肉にもいろいろな種類があります。人間、獣、鳥、魚の肉は、それぞれみな異なっています。
今アダムと同じ体を持っている私たちは、そのように、いつの日かキリストと同じ体を持つのです。
私たちもみな、以前はほかの人たちと同じで、その生活は、心にある悪を反映したものでした。欲望や心のおもむくままに生き、行動していたのです。私たちは、生まれながらに神の怒りを受けて当然の者でした。