主の救いは確実だ。
その数は少なくとも、小道をはい回る蛇のように、馬のかかとにかみつき、乗り手を落とす。
主よ。私は救いを待ち望み、 あなたの命令を守ってきました。
ああ主よ。私はあなたの救いを慕い求めてきたのです。 あなたの教えはこの上ない喜びです。
救いの手を差し伸べてくださることが、 あなたからの約束でした。 どうか私を、あなたの恵みと愛でお救いください。 そうすれば、私をさげすむ者たちに 言い返すことばを持つことができます。 私はあなたの約束を信じているからです。
いつ主があわれんでくださるかと見つめています。 ちょうど、召使が主人の様子をうかがい、 何げない表情にさえ気を配るのと同じように。
だからこそ私は、助けを信じ、 期待をこめて待っているのです。
ああ、今すぐ救いの時がきますように。 ご自分の民を救うため、主がすぐに、 シオン(エルサレム)から 駆けつけてくださいますように。 ああ、イスラエルが救い出されるときは、 どれほどの喜びがもたらされることでしょう。
私は、ただひたすら主の助けを待ち望みました。 すると、その願いは聞かれたのです。
私は黙って、神からの救いを待ちます。 救うことができるのは神だけですから。
しかし、私はじっと黙って、神の救いを待ちます。 救うことができるのは神だけだからです。
主よ、私たちに愛と恵みを注いで、救ってください。
主は私の力、私の歌、私の救いだ。私は、私の神、主をたたえよう。先祖の神、主をあがめよう。
神を信じる人には、 死ぬ時にも心の拠り所がありますが、 悪者は罪に押しつぶされます。
その日、人々は、 「このお方こそ、私たちが信頼し、 長い間待ち続けた神だ。 とうとう、おいでになったのだ」と大声で叫びます。 なんと喜びにあふれた日でしょう。
しかし主は、あなたがたを愛し、 いつの日か、みもとに帰って来るのを待っています。 約束どおり、あなたがたをむりやりつかまえてでも 祝福しようと待ちかまえています。 主は約束は必ず守るお方なので、 主の助けを待ち望む人は幸いです。
しかし主よ、私たちはあなたを待ち望んできましたから、 お心にかけてください。 毎日私たちの力となり、 苦難のときには救いとなってください。
わが主君、アッシリヤの大王は、ちょっとした賭けをしたいと言っておられる。どうかな、そちらの兵は二千とは残っていまい。もし残っていたら、大王は二千頭の馬をくれてやろうとおっしゃる。それで編成した、吹けば飛ぶような軍隊では、わが軍の一番弱い部隊ですら撃退できまい。エジプトの助けなどあてにならないからだ。
主は今姿を隠していますが、 私は主の助けを信じて、ひたすら待ち望みます。 主だけが私の希望です。
主は、ご自分を待ち望む者、ご自分を求める者を いつくしみます。
ところが私の同胞は、不正なはかりで物を売る、 ずる賢い商人のようです。 だますことが好きなのです。
それでも、私は主に助けを求め、 神が私を救い出すのを待ち望む。 神は私の言うことを聞いてくださる。
彼女は男の子を産みます。その子をイエス(「主は救い」の意)と名づけなさい。この方こそ、ご自分を信じる人々を罪から救ってくださるからです。
すると、天使が言いました。「こわがらなくてもいいのです、マリヤ。神様があなたにすばらしいことをしてくださるのです。
その日、神殿には、エルサレムに住むシメオンという人がいました。信仰のあつい正しい人で、聖霊に満たされ、イスラエルにメシヤ(救い主)の来るのを待ち望んでいました。
お約束どおり、この目でメシヤを見、
そして、神がお造りになったすべてのものが、神の子どもたちの復活を忍耐と希望をもって待ち望んでいます。
しかし、まだ起こっていないことを待たなければならないのなら、忍耐をもって、確信して待ち望むのです。
しかし私たちは、キリストの死によってこそ、罪が取り除かれ、神の前で正しい者と認められることを、聖霊の助けによって確信しています。
また、神の子の到来を待ち望む熱心さについて話してくれるからです。この神の子こそ、神が死者の中から復活させたイエスであり、罪に対する神の恐るべき怒りから救い出してくださる、唯一の救い主なのです。