「そうです。神様がエジプトで私に恵んでくださった息子たちです。」 「そうか、そうか。ちょうどよかった。私のそばに連れて来なさい。祝福しよう。」
ヤコブは腹を立てて言いました。「何だって? 私は神様ではない。おまえに子どもが与えられないのは、神様がそうしておられるからだろう。」
エサウは女と子どもたちを見て尋ねました。「あの連れの者たちは?」 「私の子どもです。」
こうして、彼らそれぞれにふさわしいことばで祝福を与えたのです。
子どもたちは主からの贈り物であり、報いです。
私の名も、神が授けてくれた子どもたちの名も、 みな天の軍勢の主の計画を暗示しています。 イザヤというのは「神はご自分の民を救う」、 シェアル・ヤシュブは「残りの民が帰って来る」、 マヘル・シャラル・ハシュ・バズは 「敵はまもなく滅びる」という意味です。
次にあげるのは、神に立てられた忠実な指導者モーセが、死を目前にしてイスラエルの人々を祝福した時のことばです。
年老いて、死を目前にしたヤコブは、信仰によって、杖にすがりながら、神に祈りをささげました。そして息子ヨセフの二人の子を、一人一人祝福しました。
子どもを授けてくださいと、おすがりしたのです。主は願いをかなえてくださいました。