しばらくしてヤコブが叫びました。「おまえたちのおかげで、私は子どもをなくしてしまった。ヨセフは出かけたまま戻らず、シメオンも捕らえられてしまった。今度はベニヤミンを連れて行きたいだと? 私をどれだけ苦しめれば気がすむのだ!」
その時、ルベンが言いました。「お父さん、もしベニヤミンが戻らなかったら、私の二人の子どもを殺してかまいません。責任は私が負います。必ずベニヤミンを連れて帰ります。」
その人の前に立つ時、全能の神様が守ってくださり、シメオンが自由にされ、ベニヤミンも無事に帰れるように。もし、この二人が死ぬことにでもなったら……それもしかたあるまい。ただじっと耐えるだけだ。」
調べ始めました。一番上の兄の袋から始めて、だんだん末の弟まで調べていきます。とうとうベニヤミンの番になりました。口を開けると、どうでしょう。信じられないことですが、杯が入っていたのです。
「ほんとうだ。間違いない。ヨセフは生きている。私は行くぞ。死ぬ前にどうしてもひと目会いたい。」
それぞれの家族の人数に応じて食物も与えました。
私のいのちは、はかない息のようで、 良いものは何一つ残っていない。
正しいからといって、 すべての苦難を免れるわけではありません。 しかし、主は正しい人をあらゆる苦しみから救い出し、
終わりは初めにまさっている。 忍耐は高慢にまさっている。
では、なぜ神はそのようにしたのでしょう。 イスラエルの罪をきよめ、 偶像とその祭壇とを取り除くためです。 これらのものは二度と礼拝の対象にはなりません。
「まだ働き盛りだというのに、 いっさいをあきらめなければならないのか。 これからの歳月は奪い取られ、 よみの門に入ろうとしている。
恐れるな。わたしがついている。 取り乱すな。わたしはあなたの神だ。 わたしはあなたを力づけ、あなたを助け、 勝利の右の手でしっかり支える。
主は私に、再び語りました。 「ラマ(バビロンの捕虜となったユダヤ人が集合させられた場所)で激しい泣き声が聞こえる。 ラケル(ヤコブの妻。 イスラエル王国の母として象徴的に言われている)は 子どものために泣いているが、 どうしても慰めることはできない。 それは、子どもがいなくなったからだ。」
イエスはすぐに手を差し出してペテロを助け、「ああ、信仰の薄い人よ。なぜわたしを疑うのです」と言われました。
私たちは、神を愛し神のご計画のうちを歩んでいる人のためには、その身に起こることはすべて、神が益としてくださることを知っているのです。
こんなにすばらしい恵みに対して、いったい何と言ったらよいでしょう。神が味方なら、だれが私たちに敵対できるでしょうか。
このことを覚えていてください。あなたがたの生活の中に入り込む誘惑は、別に新しいものでも、特別なものでもないということです。ほかにも多くの人たちが、あなたがたよりも先に、同じ問題にぶつかってきたのです。どんな誘惑にも抵抗するすべはあります。神様は決して、とてもたち打ちできないような誘惑や試練に会わせたりはなさいません。神様がそう約束されたのであり、その約束は必ず実行されるからです。神様は、あなたがたが誘惑や試練に忍耐強く立ち向かえるように、それから逃れる方法を教えてくださいます。
今の私たちの苦しみや悩みは、結局のところ、取るに足りないものであり、それほど長くは続きません。そして、このつかの間の苦しみは、永遠に尽きない、あふれるばかりの神の祝福をもたらすのです。
しかし、ダビデは心中、こう考えていました。「いつか、王は私を捕らえようとやって来るに違いない。そうだ、ペリシテ人の中にまぎれ込んで試してみよう。そして王が追跡をあきらめてくれれば、何も心配はなくなる。」