さあ、出発です。日も昇りました。しかし、腰の関節がはずれていたので、足を引きずらなければなりませんでした。
そののちハガルは、主のことをエル・ロイ(「私を顧みてくださる神」の意)と呼ぶようになりました。彼女の前に現れたのは、実は神ご自身だったのです。「私は神様を見たのに死にもせず、こうして、そのことを人に話すこともできる」と、彼女は言いました。
翌日、夜が明けるころ、二人の天使はしきりにロトをせかせて言いました。「さあ、ぐずぐずしないで。奥さんと、ここにいる二人の娘さんを連れて、大急ぎで逃げるのです。さもないと、町もろとも滅びうせてしまいます。」
ロトが村に着くと、ちょうど太陽が昇ったところでした。
なかなか勝負がつきません。その人はヤコブに勝てないとわかると、ヤコブの腰を打って関節をはずしてしまいました。
イスラエル人が今でも腰のすじ肉を食べないのは、ここに由来があります。
一方ヤロブアムは、エフライムの山地にシェケムの町を再建し、そこを首都にしました。のちに、ペヌエルも再建しました。
そこで彼らは、いけにえにする若い雄牛を祭壇に載せ、午前中いっぱい、「ああ、バアル様、私たちの祈りに答えてください!」と叫び続けました。しかし、何の答えもありません。ついには祭壇の回りで踊りだしました。
いつまで私は危険な崖っぷちに 立っていなければならないのでしょう。 悲しみの原因である罪が、 四六時中、私を見すえています。
そしてイスラエルの神を仰ぎ見ました。その足もとはサファイヤを敷きつめたように青く輝き、澄みきった空を思わせました。
長老たちは神を見たのに死なず、そればかりか、神の前でいっしょに食事をしました。
私は恐ろしくなって、思わず叫びました。 「もうおしまいだ。 口の汚れた罪深い民に属する口の汚れた私が、 天の軍勢の主である王を見てしまったのだから。」
だが、わたしの名を恐れるあなたがたには、 正義の太陽が昇る。その翼によって癒やされる。 あなたがたは自由にされ、 牧場に放された子牛のように喜んで跳びはねる。
その経験があまりにすばらしかったので、神様は、私が高ぶってはいけないと心を配られました。それで、肉体に一つのとげを与えられたのです。それは、高慢にならないように苦痛を与え、悩ませるためのサタンの使いです。
そのつど返ってくる答えは、こうでした。「いや、治すまい。しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。」だから今では、私は自分の弱さを喜んで誇ります。自分の力や才能を見せびらかすためではなく、喜んでキリストの証人になりたいからです。
必死に訴えました。『私たちの神、主がどんなにすばらしいお方か、よくわかりました。何しろ、炎の中からお語りになったのですから。しかも、その声を聞いても、私たちはこうして生きています。
炎の中から語られる神の声を聞いたら、ただではすみませんから。お願いですから、あなたが代表で聞きに行ってください。どんなことを言われても、そのとおりにします。』
ギデオンは、ほんとうにそれが主の使いであったと知って、思わず叫びました。「ああ、主なる神様! 私は面と向かって主の使いを見てしまいました。」
すると、主の声がありました。「大丈夫だ、心配しなくていい。あなたは死にはしない。」
それからペヌエルに上り、食糧を求めたところ、ここでも同じ返事でした。