こののち、神はアブラハムの信仰と従順を試しました。 「アブラハム。」 「はい、神様。」
そののち主が幻の中でアブラムに現れ、こう語りかけました。「アブラムよ、心配することはない。わたしがあなたを守り、大いに祝福しよう。」
アブラハムは困り果てました。イシュマエルも自分の子どもなのです。
「お父さん、たきぎもあるし、火打ち石もあるけれど、いけにえにする子羊はどこ?」
数日後、イスラエルはヨセフを呼び寄せて言いました。「兄さんたちはシェケムで羊に草を食べさせている。ちょっと行って、ちゃんと仕事をしているか、家畜の状態はどうか調べて来てくれないか。わかったら、戻って報告してくれ。」 「わかりました、お父さん。」ヨセフはさっそくヘブロン谷の家を出て、シェケムへ向かいました。
やがて夜になり、幻の中で神の語りかける声がありました。 「ヤコブ、ヤコブ。」 「はい。」
さて、主が再びイスラエルに怒りを燃やすようなことが持ち上がりました。ダビデはどうしたことか、人口調査をして国民を煩わせる思いに駆られたのです。主はその思いをそのままにしました。
ヒゼキヤ王が奇跡的に治ったことを知ろうとバビロンから使節が遣わされて来た時、神は彼のするままにしておきました。彼がどのように振る舞うかを試すためでした。
主は正しい者と悪者とをふるいにかけ、 暴虐を好む者を憎みます。
主はモーセに言いました。「天からパンを降らせよう。毎日みんな外へ出て、その日に必要なだけ集めなさい。これは、わたしの指示を守るかどうかを見るテストにもなる。
銀や金は火で精錬しますが、 人の心をきよめるのは主です。
続いて主の声がしました。「だれをわたしの民への使いとしよう。だれが行ってくれるだろうか。」 「主よ、私が行きます。私を使いに出してください。」
このことを覚えていてください。あなたがたの生活の中に入り込む誘惑は、別に新しいものでも、特別なものでもないということです。ほかにも多くの人たちが、あなたがたよりも先に、同じ問題にぶつかってきたのです。どんな誘惑にも抵抗するすべはあります。神様は決して、とてもたち打ちできないような誘惑や試練に会わせたりはなさいません。神様がそう約束されたのであり、その約束は必ず実行されるからです。神様は、あなたがたが誘惑や試練に忍耐強く立ち向かえるように、それから逃れる方法を教えてくださいます。
主は、あなたがたが心とたましいを尽くしてあなたがたの神、主を愛しているかどうかを試しておられるのです。
〔パンに似ているけれど〕それまで見たこともない食物、マナを下さったのも主です。こうして、あなたがたに謙遜を学ばせ、信仰を強め、ほんとうの幸せを与えようとなさったのです。
主は四十年の間、荒野の旅を続けさせて、あなたがたが謙遜になり、ご自分の戒めにどのように応えるようになるか、はたして心から従うようになるかどうかを試されたのです。
神がアブラハムの信仰を試された時にも、アブラハムは最後まで神とその約束とを信じました。彼はひとり息子のイサクを神にささげ、祭壇の上で殺そうとまでしました。
先祖アブラハムでさえ、その行いによって神の前に正しい者と認められたではありませんか。彼は、息子イサクを供え物として祭壇にささげよと神に命令された時、いさぎよく従いました。
これらの試練は、あなたがたの信仰をテストするためにあるのです。それによって、信仰がどれほど強く純粋であるかを量られます。それはちょうど、金が火によって精錬され、不純物が取り除かれるのに似ています。しかも神にとっては、あなたがたの信仰は、金よりはるかに尊いものです。ですから、信仰が火のような試練のるつぼの中で鍛えられ、なお強くされるなら、あなたがたは、イエス・キリストが再び来られる日に、多くの賞賛と栄光と名誉とを受けることになるでしょう。
むしろ彼らを用いて、イスラエル人がほんとうに先祖にならってわたしに従うかどうか試すことにしよう。」
すると主が、「サムエル、サムエル」と呼びました。サムエルは、「はい。ここにいます」と答えて、「どうしたのだろう」と思って飛び起きると、エリのもとへ走って行き、「サムエルです。何かご用ですか」と尋ねました。エリはけげんな顔で、「呼んだりしていないよ。さあ、戻ってお休み」と答えました。そのとおりにすると、