「よろしい。言うとおりにしてあげよう。あの小さな村は滅ぼさないことにします。
そうすれば、あなたを偉大な国民の父にしよう。あなたを祝福し、その名を広めて、だれ一人知らぬ者がないようにしよう。あなたによって、ほかの多くの者も祝福されます。
もしあの町に正しい人が五十人いたとしても、それでも滅ぼされますか。その人たちのために町を救おうとはなさらないのですか。
だが、急がなければなりません。あなたが向こうに着くまで、わたしは何もしないから。」この時から、その村はツォアルと呼ばれるようになりました。「小さな村」という意味です。
やるべきことを正しく行ってさえいれば、受け入れられるのだ。もし正しく行っていないなら、あなたを滅ぼそうと、罪が待ちかまえている。だが、あなたはその力を抑えることができるはずだ。」
神は、苦闘している人の祈りを聞かれます。 主には、忙しくて彼らの願いが耳に入らない などということはありません。
主は、敬虔な心で信頼を寄せる人々の願いを、 かなえてくださいます。 助けを呼び求める声を聞いてくださいます。
主は正しい生活を送る者をじっと見守り、 その人の願うことを聞き届けてくださいます。
「いいだろう。あなたの言うとおりにしよう。確かにわたしはあなたに目をかけている。あなたを友のように思っている。」
ところが主は、こうお答えになりました。「おまえたちはわたしを離れてさすらってばかりいて、わたしの道を歩こうとしなかった。今さら、わたしの民として受け入れることなどできない。わたしは今、おまえたちの犯したいっさいの悪を思い出し、おまえたちの罪を罰する。」
弱い者を踏み倒さず、 どんな小さな望みの火も消さない。 ついには、正義に勝利をもたらす。
しかし、友達だからというのでは何もしてくれなくても、しつこく戸をたたき続けるなら、その根気に負けて、必要な物を出してくれるでしょう。
イエスは、あらゆる点で、兄弟である私たちと同じになることが必要だったのです。そうして初めて、イエスは、私たちにとってはあわれみ深く、神にとっては忠実な大祭司として、私たちの罪を取り除くことができたのです。
ダビデはアビガイルの贈り物を受け取り、夫を殺したりしないから、安心して家へ帰るように言いました。