その時アブラハムは九十九歳、イシュマエルは十三歳で、二人とも同じ日に割礼を受けました。家の中の男子は、そこで生まれた者も奴隷として買い取られた者もみな、いっしょに割礼を受けたのです。
アブラムは主のことばに従って出発しました。ロトも彼といっしょです。その時、アブラムは七十五歳でした。
アブラムが九十九歳になった時、主が彼に現れました。「わたしは全能の神である。わたしの命令に従って正しく生きなさい。
つまり、性器の包皮の一部を切り取ることが、あなたがたがこの契約を受け入れたしるしとなる。
これを聞いたアブラハムは、地にひれ伏して神を礼拝しました。しかし、とても信じられないことなので、心の中で笑って言いました。「この私が父親になるだって? この百歳の老人が? それにサラだってもう九十歳だ。赤ん坊なんかできるはずがない。」
この時、すでにアブラハムもサラもすっかり年をとり、サラは子を産める時期はとうの昔に過ぎていたので、
アブラハムが割礼を受けたのは、神が彼をその信仰のゆえに祝福すると約束された時より、もっとあとのことです。割礼を受ける前に、アブラハムはすでに信仰を持っており、神はすでに彼を受け入れ、ご自分の目から見て正しい者、義なる者と認めておられました。割礼はそのしるしだったのです。こうしてアブラハムは、ユダヤ教の規則に従わなくても、信じて救われるすべての人の父とされています。ですから、これらの規則を守っていない人々も、信仰によって神から正しい者と認めていただけることがわかります。