彼はそれからさらに南へ向かい、西のベテルと東のアイにはさまれた丘陵地帯に来ました。アブラムは野営をし、主のために祭壇を築いて祈りました。
アブラムはヘブロンに近いマムレの樫の木のそばに移り、そこで主のために祭壇を築きました。
そこからさらに北のベテルに向かい、やがて、ベテルとアイにはさまれた、以前野営したことのある所まで来ました。かつて祭壇を築いた場所で、アブラムは、もう一度そこで主を礼拝しました。
アブラハムは井戸のそばに柳を一本植え、そこで主に祈りました。永遠の神に契約の証人となっていただくためです。
やがて、命じられた場所に着きました。アブラハムはさっそく祭壇を築き、たきぎを並べました。あとは火をつけるばかりです。いよいよイサクをささげる時がきたのです。イサクを縛り上げ、祭壇のたきぎの上に横たえました。
イサクは祭壇を築き、主を礼拝しました。そして、そこに住むことにし、彼の使用人たちは井戸を掘りました。
そして、そこをベテル〔「神の家」の意〕と名づけました。そのあたりは以前、ルズと呼ばれていました。
ヤコブが山地で野営していた時、ラバンはようやく追いつき、自分たちもテントを張りました。
祭壇を築いて、エル・エロヘ・イスラエル〔「イスラエルの神のための祭壇」の意〕と名づけました。
そして、一同に言い渡しました。「これからベテルへ行く。これまで、どんなに苦しかった時も祈りに答えてくださった神様、旅の間、いつも共にいて守ってくださった神様のために、そこで祭壇を築くことにしたのだ。」
ヤコブはそこに祭壇を築き、エル・ベテル(「ベテルでお会いした神の祭壇」の意)と呼びました。エサウのもとから逃げる時、神と会ったのが、このベテルだったからです。
セツは成人し、息子が生まれると、その子をエノシュと名づけました。このころから人々は、神の名によって祈るようになりました。
ノアはそこに主への祭壇を築き、神から指定された動物や鳥をささげ物としてささげました。
ベニヤミン部族の居住地は、次のとおりです。 ゲバ、ミクマス、アヤ、ベテルと周辺の村々、アナトテ、ノブ、アナネヤ、ハツォル、ラマ、ギタイム、ハディデ、ツェボイム、ネバラテ、ロデ、オノ、職人の谷。
私が「主よ、どうかお救いください」と叫ぶと、
モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシ〔「主は私の旗」の意〕と呼びました。モーセは言いました。「主の旗を掲げなさい。こののち何代にもわたって、主がアマレク人と戦ってくださる。」
見なさい。アッシリヤの大軍が押し寄せて来ます。 さっきまでアヤテにいたのに、 もうミグロンに着きました。 彼らはミクマスに軍用物資を置き、 渡し場を過ぎ、ゲバで野営します。 ラマの町は震え上がり、 サウルの町ギブアの住民は命からがら逃げ去ります。
主の名を呼び求める者はみな、救われる。 主が約束したように、 エルサレムにも幾人か難を逃れる者がいる。 主が幾人かを選んで、生き残るようにしたからだ。」
しかし、主にあわれみを求める者はみな、 あわれみを受けて救われる。』(ヨエル2・28-32)
神の民として招かれ、キリスト・イエスによって神に受け入れられる者とされたコリント教会の皆さん、および主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているクリスチャンの方々へ。この主は、私たちの主であると共に、すべての人の主です。
そして、約束の地カナンに入ったあとも、外国からの旅行者のように天幕(テント)生活を送りました。神から同じ約束を受けた息子のイサクと孫のヤコブも、その地で同様に天幕生活を送りました。
ところがヨルダン川を渡る寸前、まだカナンの地にいる時、彼らは、だれの目にも留まるほど大きな、祭壇をかたどった記念碑を建てたのです。
エリコ陥落後すぐに、ヨシュアはまた、ベテル東方の町アイに数人の偵察者を送り込みました。
アイからもベテルからも、兵士は一人もいなくなり、町の城門は開け放たれたままでした。
本隊がアイに向かう前に、ヨシュアは三万の精兵をひそかに派遣し、いつでも行動を起こせるよう、アイの後方のそれほど遠くない場所に、伏兵として忍ばせました。
ついでヨシュアは、モーセが命じたとおり、イスラエルの神である主のためにエバル山に祭壇を築きました。
こうして三万の精兵は夜中に本隊を離れ、アイの西端とベテルとの中間の地点に隠れました。一方、ヨシュアの率いる本隊は、エリコの宿営にとどまって夜を過ごしました。
ギデオンはそこに祭壇を築き、「主との平和の祭壇」と名づけました。この祭壇は、今もアビエゼル人の地オフラにあります。
贈り物が届けられたのは、ダビデたちが立ち寄ったことのある、次の町々の長老たちです。ベテル、ネゲブのラモテ、ヤティル、アロエル、シフモテ、エシュテモア、ラカル、エラフメエル人の町々、ケニ人の町々、ホルマ、ボル・アシャン、アタク、ヘブロン。