その間に、ユダ王のアハズヤはベテ・ハガンの道へ逃げました。エフーはアハズヤを追いかけ、「やつも討ち取れ」と家来に命じました。エフーの軍勢は、イブレアムに近いグルの坂道で、戦車に乗ったアハズヤに矢を射かけ、重傷を負わせました。王はやっとの思いでメギドまで逃げ延びたものの、そこでついに事切れました。
ある日、王はナボテに、畑を譲ってほしいと申し出ました。「あそこを庭にしたい。宮殿に近いから、とても便利なのだ。」王は、銀で買い取ってもよいし、もしナボテが望むなら、もっと良い地を代わりに与えてもよいと言いました。
しかし彼らには、そんなことをする勇気などありませんでした。「二人の王でさえ、この人に立ち向かえなかったのに、私たちにできるはずがない」と、しりごみするばかりです。
ユダの王アハズヤの母アタルヤは、息子が死ぬと、王の子どもをことごとく殺そうとしました。
ヨアシュがユダの王となったのは、エフーがイスラエルの王となってから七年後のことで、四十年間エルサレムで治めました。母親は、ベエル・シェバ出身のツィブヤでした。大祭司エホヤダが正しく教え導いたので、
暗殺者は王に信頼されていた側近で、シムアテの子ヨザバデと、ショメルの子エホザバデです。ヨアシュはエルサレムの王室墓地に葬られ、息子アマツヤが王位につきました。
エルサレムで謀反が起こった時、王はラキシュへ逃げました。しかし、王のいのちをつけねらう者たちは、暗殺者を送り込んで王を殺しました。
アモンの家来たちは彼に謀反を起こし、宮殿の中で王を殺しました。
イズレエルへ治療に帰ったので、その病床をアハズヤは見舞いに行きました。
知恵ある人のそばにいれば知恵ある人になり、 悪人のそばにいれば悪に染まります。
叫びました。「急いでその天幕を離れなさい。彼らの持ち物にさわるな。さもないと、仲間ということで殺されてしまうぞ。」
それゆえ、主はこう言っておられます。 「彼ら(神の民)から立ち去り、縁を切れ。 その汚れたものに触れてはならない。(イザヤ52・11) そうすれば、わたしはあなたがたを迎え入れ、
マナセの半部族にはまた、イッサカルとアシェルの領地内の次の町も与えられました。ベテ・シェアン、イブレアム、ドル、エン・ドル、タナク、メギドとその周辺の村々です。
マナセ族は、ベテ・シェアン、タナク、ドル、イブレアム、メギドとその周辺の町々の住民を追い出すことに失敗しました。それでカナン人は、その地にとどまり続けました。
カナンの諸王はメギドの泉のほとりタナクで抗戦したが、 勝利は得られなかった。