ヨラム王は死んで、ダビデの町(エルサレム旧市街)にある王室墓地に葬られました。
死後は、父ダビデの町に葬られ、彼の子レハブアムが代わって王となりました。
ヤロブアムは二十二年の間王位にあったのち死に、その子ナダブが跡を継ぎました。
レハブアム王は死んで、先祖たちと同じようにエルサレムに葬られました。彼の母ナアマはアモン人でした。そのあと、息子アビヤムが王となりました。
こうしてダビデは死に、エルサレムに葬られました。
その時、ユダの王アハズヤの身内の者に出会いました。エフーが、「どなたですか」と尋ねると、「アハズヤの身内の者です。王のお子と、王母イゼベル様のお子に会いに、サマリヤへ行くところです」と答えました。
遺体は馬でエルサレムに運ばれ、ダビデの町の王室墓地に葬られました。
ヨタム王は死んで、ユダの歴代の王とともにエルサレムの旧市街、ダビデの町の王室墓地に葬られ、その子アハズが王となりました。
王は死んで、エルサレムの旧市街、ダビデの町の王室墓地に葬られ、その子ヒゼキヤが王となりました。
ヨラム王のその他の業績は、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
彼の家来たちは遺体を車に載せてエルサレムに運び、王室墓地に葬りました。
ヨシャパテ王は死んで、エルサレムの王室の墓に葬られ、その子ヨラムが新しくユダの王となりました。
彼らはユダを目指して進撃し、国境を越え、ヨラム王の妻子を含めて、王宮にあるめぼしいものをみな奪い去りました。ようやくのことで、王の末子エホアハズだけが難を逃れました。
ヨラムは三十二歳で王となり、八年間エルサレムで治めて死にました。だれもその死を悼みませんでした。彼はエルサレムに葬られましたが、王室の墓地ではありませんでした。
それにもかかわらず、主はダビデの家を見限るようなことはしませんでした。ダビデに、彼の子孫はいつまでも王座につくと約束していたからです。
エルサレムの人々は、ヨラムの末子アハズヤ(別名エホアハズ)を新しく王に選びました。アラビヤ(アラブ)人の略奪部隊が、年長の息子たちを殺してしまったからです。
治療のため、イズレエルに帰って来ました。ユダの王アハズヤは、彼を見舞いにイズレエルに行きました。
イスラエルの王ヨアシュは、負けたユダの王アマツヤを捕らえ、捕虜としてエルサレムに連れて来たうえ、エルサレムの城壁をエフライムの門から隅の門まで二百メートルにわたって取り壊すよう命じました。