しかし、エリシャは少しもあわてず、「麦粉を少し持って来なさい」とだけ言いました。そして麦粉をかまに投げ入れ、「さあ、これで大丈夫だ。どんどん食べなさい」と言いました。煮物の毒はすっかり消えていたのです。
エリシャは町の井戸へ出かけ、塩を振りまいて、「主がこの水をきよめてくださった。これからはもう流産する人もないし、水にあたって死ぬ人もいない」と宣言しました。
エリシャは使いの者をやって、言いました。「ヨルダン川へ行って、体を七回洗いなさい。そうすれば、ツァラアトは跡形もなくなり、完全に治ります。」
「どこに落としたのか。」彼がその場所を教えると、エリシャは一本の枝を切り、そこに投げ込みました。すると、斧の頭が水面に浮かび上がってきたのです。
モーセは主に助けを求めました。すると、主は彼に一本の木を示し、それを水に投げ入れなさいと命じるのです。そのとおりにすると、水は甘くなりました。 このマラで、主はモーセを試みました。
こう言われると、イエスは地面につばをして泥を作り、それを盲人の目に塗って、
ところがパウロは、平気な顔でまむしを火の中に払い落とし、ぴんぴんしています。
この「愚かしい」神の計画は、最高の知者の最も賢明な計画より、はるかにすぐれたものです。また、キリストの十字架上の死という神の弱さは、どんな人間の強さよりも強いのです。