ヒゼキヤ王のその他の業績、貯水池と水道を造って町に水を引いたことなどは、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
ヤロブアム王のその他の業績、彼がどう戦い、どう治めたかなどは、『イスラエル諸王の年代記』に記録されています。
レハブアム王のその他の業績は、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
アサ王のその他の業績や王の建てた町々の名前については、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。王は年をとってから足の病気にかかりました。
アビヤムのその他の業績は、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
ペカフヤのその他の業績は、『イスラエル諸王の年代記』に記録されています。
アザルヤのその他の業績は、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
アハズ王のその他の業績は、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
ところがアッシリヤの王は、前線の将軍、主計長、参謀長に大軍をつけてエルサレムに送ったのです。彼らは、布さらしの野(城外にあった、布をさらす職人たちの作業場)に面した大路に沿って、上の池の水道のそばに宿営しました。
ヨシヤ王のその他の業績は、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
ヨラム王のその他の業績は、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
そのころ、王は重い病気にかかりましたが、彼が主に祈った時、奇跡的に治りました。
ヒゼキヤは王子や高官たちを集めて作戦会議を開き、町の外にある泉をふさぐことにしました。
さらに、ギホンの上の泉をせき止めて水道を敷き、その水を、エルサレムにあるダビデの町の西側にまで引きました。彼のなしたことは、みなうまくいきました。
ヒゼキヤ王のその他の業績、特に王が行ったすべての良いことは、アモツの子の預言者イザヤが書いた『イザヤの預言』と『ユダとイスラエル諸王の年代記』に記されています。
そこで彼らは、大作業チームをつくり、すべての泉とともに、野を流れる川までもせき止め、「アッシリヤの王に、豊富な水を見つけさせてたまるか」と言いました。
次いで、泉の門と王の池へ向かいましたが、瓦礫のせいで、ろばの通れる場所がありませんでした。そこで、町の回りを巡り、流れに沿って進み、城壁を調べて、再び谷の門から中に入りました。
続いて、ベテ・ツル半区の区長である、アズブクの子ネヘミヤは、ダビデ王の墓地と人工貯水池、勇士たちの家までの城壁を修理しました。