アッシリヤの将軍ラブ・シャケは彼らに言いました。「ヒゼキヤ王に伝えよ。アッシリヤの大王の仰せだ。『私の手からおまえを助け出せる者はいない。
ところがアッシリヤの王は、前線の将軍、主計長、参謀長に大軍をつけてエルサレムに送ったのです。彼らは、布さらしの野(城外にあった、布をさらす職人たちの作業場)に面した大路に沿って、上の池の水道のそばに宿営しました。
それともおまえたちは、「きっと主が助けてくださる」とでも言うのか。だとしたら忘れるな。それは、おまえが取り除いた高台の祭壇の神々である。主とやらをエルサレムの祭壇で拝めと命じているとは、あきれ果てたものだ。』
王はイスラエルの神、主に心から信頼していました。あとにも先にも、ヒゼキヤのような王はいませんでした。
「おまえが信頼している神にたぶらかされるな。神が、『エルサレムを敵の手に渡さない』と言っても、信じてはならない。
主は問われます。 「人の子らよ、こんな空しい偶像を拝んで、 いつまでわたしの栄光をはずかしめるのか。 偶像が神であるはずなどないのに。」
使者は、次のようなヒゼキヤ王への伝言を突きつけました。 「アッシリヤの大王は、エジプトのファラオの助けをあてにするのは愚か者だと仰せになっている。
エジプトは危険な同盟軍だ。何をしでかすかわかったものじゃない。寄りかかってきたら手を刺してやろうと、杖の先をとがらせて待っている。忘れるな、今までこの国に助けを求めた者は、例外なくひどい目に会ったのだぞ。
ひょっとしたらおまえは、『われわれは神にお頼りしている』と殊勝なことを言うかもしれない。だが、よく考えてみろ。その神にしてからが、ヒゼキヤ王が丘の上の神殿や祭壇を片っ端から壊したあげく、ユダの民に、エルサレムの祭壇の前でだけ拝めと命じた、あの神ではないか。
「おまえは、エルサレムは私の手に渡さないとか、偉そうな口をたたいておるが、おまえの信じている神にごまかされるな。
ハマテの王、アルパデの王、セファルワイム、ヘナ、イワの町々の王の最期がどうであったか、忘れないことだ。」
こう言った。「私は自分の力で、この美しい都を、王宮のある町、帝国の首都に建て上げたのだ。」