ところがアッシリヤの王は、前線の将軍、主計長、参謀長に大軍をつけてエルサレムに送ったのです。彼らは、布さらしの野(城外にあった、布をさらす職人たちの作業場)に面した大路に沿って、上の池の水道のそばに宿営しました。
エルサレムで謀反が起こった時、王はラキシュへ逃げました。しかし、王のいのちをつけねらう者たちは、暗殺者を送り込んで王を殺しました。
足りない分は神殿の扉と柱の金箔をはぎ取ってまで、アッシリヤの王に渡しました。
おまえは鼻高々に言った。「私の戦車は高い山に登り、レバノンの最高峰まで占領した。高くそびえるレバノン杉と良質の糸杉を切り倒し、辺境の地に至るまで手中に収めた。
ヒゼキヤ王のその他の業績、貯水池と水道を造って町に水を引いたことなどは、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
シシャク王は、たちまちユダの要塞の町々を占領し、ついにエルサレムまで攻め上りました。
アッシリヤの王セナケリブは、まだラキシュの町を包囲している最中でしたが、ヒゼキヤ王とエルサレムに使者を遣わし、次のように言わせました。
アッシリヤのサルゴン王が、司令官にペリシテの町アシュドデを襲わせ、占領させた年のことです。
それからだいぶたってからのことです。王はラキシュから大軍をつけて使者を送り、エルサレムのヒゼキヤ王と交渉させました。使者の一行は、布さらしの野を通る道のほとりの、上の貯水池の出口近くに陣を張りました。
その時、主はイザヤに命じました。「息子のシェアル・ヤシュブを連れて、アハズ王に面会を求めなさい。王は今、ギホンの泉から布さらしの野に通じる道の近くにある、上の貯水池へと向かう上水道の端にいる。