そのようなことをなさったら、エジプト人は何と言うでしょう。『それ見ろ。イスラエルの神は彼らをだまして山へ連れ出したのだ。その証拠に、彼らは一人残らず殺されてしまった』とあざけるかもしれません。どうぞ怒りを収めてください。そんな恐ろしいさばきは思いとどまってください。
人間を造ったことを後悔し、心を痛めました。
彼らは、あなたがエジプトから連れ出された大切な民だからです。
指導者を通して、お取り調べください。異教徒の妻をめとった者は、所定の時に町の長老や判事を伴って出頭いたします。こうすれば、個々の事例に判決を下し、万事速やかに解決できます。神様の激しい御怒りも、やがて静まるでしょう。」
愛の主は、以前の約束を思い出してあわれみ、
主よ、敵があなたをあざけっていることに 目を留めてください。 ああ神よ。 思い上がった民が、主の名を冒瀆しているのです。
それでもなお、あわれみ深い神は、 そんな彼らの罪を赦し、 絶滅にまでは追い込まれませんでした。 幾度も、怒りを押しとどめられたのです。
こうして、神の激しい怒りは、 きれいに消え去りました。
ああ主よ、祝福してください。 いつまでこの状態が続くのですか。 御怒りを、はるか向こうに遠ざけてください。
すると、主は思い直し、彼らへの制裁を見合わせることにしました。
もしそれがほんとうなら、どうぞ私の歩むべき道をはっきりと示してください。そうすればあなたを理解できるようになり、あなたに喜ばれるでしょう。この民があなたご自身のものであることを、お忘れにならないでください。」
それでもなお、誰ひとり神の名を呼び、 あわれみにすがろうとしません。 そこで神も、私たちから顔をそむけ、 罪に引き渡したのです。
しかし主よ、それでもなお、神は私たちの父です。 私たちは粘土で、神は陶器師です。 私たちはみな御手によって造られました。
だから、あなたはどうしても死ななければならない。これは主のことばだ。今年中に、あなたの寿命は尽きる。主に逆らったからだ。」
しかし、わたしの名誉を守るために、またも思いとどまった。エジプトから彼らを連れ出すのを見ていた国々の民に、主は民を守ることができず滅ぼすことになってしまったと言わせないためだ。
それでもなお、わたしは彼らを罰せずにおいた。エジプトから彼らを連れ出したわたしの力を見た国々の中で、わたしの名が傷つけられないためだ。
しかし結局、そうはしなかった。イスラエルの神は自分の民を守ることもできなかった、とエジプト人にあざ笑われることがないように、わたしの名誉を守ろうとしたからだ。それで、エジプト人の目の前で、わたしの民をエジプトから連れ出し、荒野へ導き入れたのだ。
神に仕える祭司たちは、民と祭壇の間に立って、 泣きながら祈るがいい。 「神様、あなたの民をお救いください。 あなたに属する者たちなのですから、 異教徒の支配下に置かないでください。 『彼らの神はどこにいるのか。 きっと弱くて、何もできないのだろう』と、 異教徒にあざけられないようにしてください。」
そこで主は思い直して、その幻を実行に移さず、 「やめよう」と言いました。
それで主は、この計画も思い直し、 「これもやめよう」と言いました。
もしかすると、神様は私たちを生かそうと決め、怒りを静めて、滅ぼさないでくださるかもしれないからだ。」
そうすれば、必ずあなたがたを祝福する。わたしが心変わりするかもしれないなどと思うな。あなたがたの先祖がわたしを怒らせた時、わたしは必ず罰すると約束し、言ったことを実行した。あなたがたを祝福するという決意も変えることはしない。
しかし、あえてお願いします。私たちをお赦しください。エジプトを出てから今日まで、いつも赦してくださったように、今も変わらず私たちを愛してください。」
「モーセとアロン、この者たちから離れなさい。わたしは今すぐこの者たちを滅ぼす。」
決して戦利品を持ち帰ってはいけません。すべて焼き尽くすことによって、主は激しい怒りを静め、もう一度あなたがたに目をかけ、先祖への約束どおり、私たちを大きな民にしてくださいます。
神はイスラエルをさばき、 彼らの失敗を優しくかばわれる。 奴隷も自由人も力が衰えていくのを見て、
それに、もし彼らを滅ぼしたりすれば、エジプト人たちは言うでしょう。「そうら、何てざまだ。イスラエルの神はどうにも約束の地へ連れて行けなくなって、荒野で彼らを殺してしまった。それとも彼らを嫌いだったから、初めから殺すつもりで連れ出したのかもしれない」と。
その上に石を高く積み上げました。その石塚は現在も残っており、谷は、今もなおアコル〔災い〕の谷と呼ばれています。こうして、ようやく主の激しい怒りは収まりました。
カナン人や近隣の民族がこれを聞けば、攻めて来るに決まっています。もはや全滅です。そうなれば、あなたの大いなる御名はどうなるのでしょう。」
主は、ご自分の民を捨てて、その偉大なお名前を汚すようなことはなさらない。主はあなたがたを、特別な民として選んでくださったのではないか。そうすることが主のご意志だったのだ。