そして神に対して特別にきよくされた者だというしるしに、アロンのために特製の服を作りなさい。それは見た目にも美しく、祭司としての威厳を示す服である。
そうだとしたら、 おまえの尊厳と威光を身にまとえばよい。
祭司には救いの服を着せよう。 わたしを信じる都の住民は、 喜びの声を張り上げるだろう。
祭司には、純潔のしるしの白い服をまとわせます。 わが国の人々を、歓声でわき立たせてください。
主はご自分の民を喜んで受け入れ、 謙虚な者を救ってくださるのです。 この光栄を思い浮かべて、 神の民が感謝しますように。 寝床でも、喜びのあまり歌いだしますように。
栄誉と威光が神を包み、 力と美が宮に立ちこめています。
アロンの子らには上着と帯を作り、また、名誉と威厳を与えるためのターバンを作りなさい。
祭司アロンの神聖な服、彼の子らが祭司として奉仕する時に着る服、
アロンに聖なる装束を着せて油を注ぎなさい。祭司としてわたしに仕えることができるように、彼をきよめなさい。
滅びゆくエルサレムと運命を共にしないように、名前を書き記された人の汚れは洗いきよめられ、不道徳のしみも火で焼かれます。その人たちは、神のきよい国民となるのです。それだけでなく、地は黄金色の穂波と、みずみずしい果物を実らせます。
エルサレムよ、さあ、目を覚まして神の力を着なさい。 聖なる都、シオン(エルサレム)よ、 美しい衣をまといなさい。 神に背く罪人は、もはやあなたの門をくぐりません。
神が私をどんなに幸福にしてくださったか、 お話ししましょう。 神は私に救いの衣を着せ、 正義の外套をかけてくださいました。 私はまるで、婚礼の服をまとった花婿、 宝石で身を飾った花嫁のようです。
嘆き悲しむすべてのイスラエル人に、 神は与えます。 灰の代わりに美しさを。悲しみの代わりに喜びを。 重い心の代わりに賛美を。 神はご自分の栄光のために、 優雅で強い樫の木のように彼らを植えたのです。
私たちはみな罪の毒に冒され、汚れきっています。 これこそ正義だという最上の着物をまとっても、 悪臭を放つぼろきれにすぎません。 私たちは秋の木の葉のように色あせ、 しおれて落ちます。 あえなく罪の風に吹き飛ばされるばかりです。
続いてモーセは、注ぎの油と祭壇に振りかけた血を取り、アロンとその装束、息子たちとその装束に振りかけました。アロンとその子ら、およびその装束を、主の務めにささげるためです。
キリストは人間となり、この地上で私たちと共に生活なさいました。彼は恵みと真実のお方でした。私たちは、この方の栄光を目のあたりにしました。それは天の父である神の、ひとり子としての栄光でした。
当然なすべき正しい生活ができるように、主イエス・キリストに助けを求めなさい。悪を楽しむような計画を立ててはいけません。
バプテスマ(洗礼)を受けてキリストと一体とされた今は、キリストをその身にまとっているのです。
しかし、しばらくの間、天使よりも低くされ、私たちのために死の苦しみを味わうことによって、栄光と誉れの冠を受けられたイエスを見ています。イエスは、神の大いなる恵みのゆえに全人類のために死なれたのです。
このような大祭司こそ、私たちが必要としていた方です。この方はきよく、少しの欠点も罪のしみもなく、罪人によって汚されることもありません。
キリストが聖なる山の上で、父なる神から誉れと栄光とを受けて輝かれた時、私はその場に居合わせました。その時、「これこそわたしの愛する子、わたしの大いなる喜び」と、栄光にあふれる厳かな声が天から響くのを、私ははっきり聞いたのです。
愛する人たち。私たちは、もうすでに神の子どもなのです。これから先のことは想像もつきませんが、ただこの一事だけはわかっています。つまり、キリストが再び来られる時、私たちはキリストに似た者となるということです。その時、キリストのありのままの姿を見るからです。
花嫁は、輝くばかりの、きよく真っ白な麻布の衣を着せられた。」この麻布は、クリスチャンの正しい行いを表しているのです。
そして、その人々を神の国に集め、神の祭司、地上の支配者とされました。」