一頭でも残して行くわけにはまいりません。神様には動物のいけにえをささげなければならず、向こうへ着くまでは、神様がどの動物をお選びになるかわかりません。ですから、すべて連れて行きます。」
「おことばを返すようですが、それは承知できません。あなたご自身も私たちの手にいけにえを与え、私たちの神、主にいけにえをささげなければならないのです。
モーセが答えました。「若い者も年寄りもみなです。息子、娘、羊や牛の群れも、すべて連れて行きます。一家をあげて、この聖なる巡礼に参加するのです。」
羊も牛もみんな連れて、早く行ってくれ! そして出かける前に私のためにも祈ってもらいたい。」
神様の命令どおり、三日ほど旅をして、荒野でいけにえをささげなければなりません。」
収入があったなら、まずその一部をささげて、 主をあがめなさい。 そうすれば、倉には食べ物があふれ、 酒蔵は極上の酒で満たされます。
ところが、ずっとのちになって、その利益は主のために使われるようになり、祭司の食卓を潤し、上等の服で着飾らせるようになります。
それからやっと、羊や牛の群れを引いて、 神にいけにえをささげにやって来る。 だが、もう遅い。 もう神を見つけることはできない。 神は彼らから離れて行き、彼らだけが取り残される。
その日、馬の鈴には「これは聖なるもの」と書かれ、主の神殿のごみ箱までも祭壇の前の鉢のように神聖なものとなります。
何よりもすばらしいのは、彼らが期待をはるかに超えることをしてくれた点です。まず、自分自身を主にささげ、また私たちにもゆだねてくれました。それは、神様が私たちを通してどんなことをお命じになっても、それに従うためです。
アブラハムも、神を信じました。神に、生まれ故郷を離れて新しく与える地に向かうようにと指示された時、彼はそのことばに従い、行く先も知らずに出て行ったのです。