するとたちまち、パウロの目から、うろこのようなものが落ち、目が見えるようになりました。彼は直ちにバプテスマ(洗礼)を受け、
ペテロは答えました。「一人一人、罪の生活から悔い改めて神に立ち返りなさい。そして、罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、聖霊という賜物をいただけます。
この日、ペテロの言うことを信じた人はバプテスマを受けましたが、その数は全部で三千人ほどでした。
この人が来て、『兄弟パウロ。見えるようになれ』と言うと、たちまち彼の姿が見えるようになりました。
さあ、何をためらっているのです。お立ちなさい。主の名を呼んでバプテスマ(洗礼)を受け、罪をすっかり洗いきよめていただくのです。』
アナニヤは出かけ、パウロを捜し当てました。そして彼に手を置き、「兄弟パウロ。あなたはここへ来る途中、主にお会いしましたね。その主イエス様が私を遣わしました。あなたが聖霊に満たされ、また見えるようになるためです」と言いました。
食事をとると、すっかり元気を取り戻しました。 パウロはそれから数日の間、ダマスコのクリスチャンといっしょに過ごすと、
ようやくパウロは起き上がりましたが、どうしたことでしょう、目が見えません。手を引いてもらって、やっとダマスコに入り、三日間、目が見えないまま、何も飲み食いせずに過ごしました。
覆いがかけられたのは、モーセの顔だけではありません。イスラエルの人々の霊的理解力も覆われたのです。今でも、聖書が朗読される時、ユダヤ人の思いには、厚い覆いがかかっているように思えます。というのは、聖書のほんとうの意味を知ることも、理解することもできないからです。この覆いは、キリストを信じて初めて取り除かれるのです。
「闇の中に光が輝け」(創世1・3)と言われた神様が、私たちに、イエス・キリストの御顔に輝いている、神の栄光の輝きを理解させてくださったからです。