「『まっすぐ』という名の通りに行き、ユダという人の家を探しなさい。そこにタルソ出身のパウロという人がいて、いま祈っています。
主は悪者の供え物を憎み、正しい人の祈りを喜びます。
その日、わたしはエルサレムのすべての民に、恵みと祈りの霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者を見て、まるでひとり息子のためのように嘆き、長男が死んだときのように深く悲しむ。
「もし、神があなたにどんなにすばらしい贈り物を用意しておられるか、また、わたしがだれなのかを知っていれば、あなたのほうから、いのちの水を下さいと願ったでしょう。」
その人が説明するには、天使が現れ、ヨッパにいるシモン・ペテロを招くように言われたというのです。
このあと、バルナバはパウロを捜しにタルソへ行きました。
しかし、主にあわれみを求める者はみな、 あわれみを受けて救われる。』(ヨエル2・28-32)
パウロは答えました。「私はキリキヤのタルソ出身のユダヤ人です。お願いです。この人たちに話をさせてください。」
「私はキリキヤの町タルソで生まれたユダヤ人ですが、エルサレムのガマリエル先生のもとで教育を受けました。先生の門下生として、ユダヤの律法には、特にきびしく従うように教えられました。つまり、今の皆さん同様、こと神に関する限り、人並み以上に熱心だったのです。
こんなことは二度としてはいけない。悔い改めて祈りなさい。あなたのような不心得者でも、まだ赦していただけるかもしれない。
ところで、ピリポはどうしたでしょう。主の使いが現れて、「さあ、エルサレムからガザの荒野へ通じる道に出なさい」と言うではありませんか。
それと知った信者たちは、パウロを故郷のタルソへ帰そうということになり、カイザリヤまで同行して見送りました。
しかし、あなたがたがもう一度、主を慕い求めるなら、必ず主を見いだせるでしょう。