そのうちにシモンも信じ、バプテスマを受けることになりました。彼はピリポの行くところはどこへでもついて行き、その奇跡に驚いていました。
主は答えました。 「見よ、そして驚け。 わたしがしようとしていることを知ったら、 驚愕するだろう。 それはあなたが生きているうちに起こる。 目で見なければとても信じられないようなことだ。
神にそむく生活を送っていたことを全面的に認め、それを言い表した人たちに、ヨハネはヨルダン川でバプテスマ(洗礼)を授けました。
信じる人々はわたしの権威によって悪霊を追い出し、新しいことばを語ります。
次に、土の浅い石地とは、喜んで教えは聞くものの、ほんとうの意味で心に根を張らない状態のことです。教えられたことはいちいちもっともだと納得し、しばらくの間は信じているのですが、迫害の嵐がやってくると、すぐにぐらついてしまうのです。
父は子を愛して、自分のすることは何でも子に教えてくださるのです。神の子は、病気を治すということなどとは比べものにならない驚くべき奇跡を行います。
「あなたがたは、わたしが安息日に病気の人を治したら、労働をしたと驚いています。だが、あなたがたはどうでしょうか。モーセの律法どおりに割礼(男子が生まれて八日目に、その性器の包皮を切り取るユダヤ教の儀式)を施すためには〔実際は、割礼の習慣はモーセの律法より古くからあったのですが〕、安息日でも平気で労働するではありませんか。割礼の日がちょうど安息日にあたっても、割礼を施しているではありませんか。それなら、安息日に病人を元気にしてやって、どこが悪いのでしょう。何を根拠にわたしを非難するのですか。
次の週の礼拝には、町中の人がこぞって詰めかけ、二人が神のことばを話すのを聞こうとしました。
しかもパウロは、神によって驚くべきすばらしい奇跡を行う力に恵まれたので、
いつも「美しの門」で見かける、足の悪い物ごいではありませんか。だれもかれもびっくりするばかりです。
心が神の前に正しくないのに、この特権がいただけるはずがない。