神様はまた、その時、割礼の儀式(男子が生まれて八日目に、その性器の包皮を切り取る儀式)を定め、それを神とアブラハムの子孫との契約の証拠となさいました。それで、アブラハムの息子イサクは、生後八日目に割礼を受けたのです。このイサクの息子がヤコブで、ヤコブからユダヤ民族の十二部族の長が生まれました。
ヤコブがレアに冷たくするので、主は彼女に子どもを授け、ラケルには子どもがいませんでした。
やがてビルハは男の子を産みました。
やがてベテルを出発したヤコブ(イスラエル)の一行は、エフラテ〔ベツレヘム〕へと旅を続けました。ところが目的地まではまだかなりあるうちに、ラケルが産気づいたのです。
「よかったわね。また男のお子さんですよ。」難産で息も絶え絶えのラケルは、最後の息の下から、その子をベン・オニ〔「私の悲しみの子」の意〕と呼びました。しかし父親は、ベニヤミン〔「私の右手の子」の意〕と名づけました。
アブラハムの子イサクには、エサウとイスラエルという二人の子がいました。
アブラハムはイサクの父、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちの父です。
愛する皆さん。考えてください。ダビデはここで、自分のことを語っているわけではありません。そうでしょう。ダビデは死んで葬られ、その墓は今でも、ちゃんと残っているではありませんか。
この質問に答えるためには、まず、次の質問に答えなければなりません。神はいつ、アブラハムにこの祝福をお与えになったかということです。それは、彼がユダヤ人として認められるための儀式である割礼を受ける前のことでした。
愛する皆さん。日常生活で人間同士が約束をかわす場合でも、文書にして署名したら、もう変更はできません。あとになって、約束を破ることはできないのです。
私の言おうとすることはこうです。つまり、信仰によって救うという神の約束――神様はそれを文書にし、署名されました――は、その後四百三十年たって、神が「十戒」という律法をお与えになった時にも、無効とされたり、変更されたりはしなかったということです。
メルキゼデクがどんなに偉大な人物であるか、考えてみましょう。神がお選びになった人の中で最も尊敬されていたアブラハムでさえ、メルキゼデクには、王たちからの戦利品の十分の一をささげました。