しかし神様は、人間が造った神殿にはお住みにならないのです。主は預言者の口を通して、次のように語っておられます。 『主は言われる。 天はわたしの王座、 地はわたしの足台。 いったいどのような家を わたしのために建てようというのか。 わたしが、そのような所にとどまるだろうか。 わたしが、天と地とを造ったのではないか。』(イザヤ66・1-2)
それにしても、神様ははたしてこの地上にお住みになるでしょうか。大空も天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私が建てたこの神殿などなおのことです。
それにしても、あなたはこの地上で、ほんとうに人間とともに住まわれるのでしょうか。天も、天の天も、あなたをお入れすることができないのでしたら、まして、私が建てたこの神殿などはなおさらのことです。
喜びの川が、 あらゆる神々にまさる神であられるお方の 聖なる住まいのある都を流れます。
ああ、どれほど主に感謝していることでしょう。 その恵みは測り知れません。 王の王なる主の御名を、力の限りほめ歌います。
私たちは、 どんなものにもまさる神によってかくまわれ、 この全能のお方のふところに住んでいます。
私には、主という避難所があります。 私はこのお方を、 すべての神々にまさる神として選びました。
主は永遠に天であがめられるお方ですが、
これは見張り人たちの宣告であり、聖なる者たちの命令である。このように宣言するのは、いと高き方が世界の国々を支配し、御心のままに、人間の中で最もへりくだった者にさえその国々をお与えになるということを、全世界が知るためである。』
七年目の終わりに、私は天を見上げた。すると正気に戻ったので、いと高き神を賛美し、礼拝した。そして、永遠に生きておられる方、その御国の支配が代々限りなく続くお方をほめたたえた。
彼らはあたり一帯を見回すが、 いと高き神がいる天には目を向けない。 まるで、いつも的をはずす、曲がった弓のようだ。 指導者たちは、わたしへの傲慢な態度のために 敵の剣に倒れる。 こうして全エジプトが彼らをあざ笑うようになる。
彼は非常に偉大な人になり、神の子と呼ばれます。神である主は、その子に先祖ダビデの王座をお与えになります。
私たちがいま住んでいる地上の家が取りこわされても〔すなわち、私たちが死んでこの肉体を離れても〕、天には新しい体、永遠に保証された家があります。それは、人の手ではなく、神の手でつくられた家です。
世界を造られた時、 神は天使を遣わし、国々を監督させた。