こうして神様は、『だれがあなたを、おれたちの支配者や裁判官にしたのか』とユダヤ人たちに退けられたモーセを、もう一度、エジプトに帰らせたのです。モーセは初めて、イスラエル人の支配者、また解放者となったのです。
あなたはモーセとアロンを指導者とし、 あなたの民をその道づたいに、 羊の群れを牧するように導いたのでした。
その時、いつも人々の前を進んでいた神の使いがうしろに移ったので、雲の柱も、
明け方になって、主は火と雲の柱の間からエジプトの軍勢をごらんになり、彼らを攪乱しました。
すると男は、「何だと? よけいなお世話だ。だいたい、そういうおまえこそ何者だ。まるで王様か裁判官みたいな口をきくじゃないか。昨日のエジプト人だけでは足りず、おれまで殺そうというのか」と言いました。あんなに用心したのに、昨日したことがばれていたのです。モーセは非常に不安になりました。
今は黙って、わたしが話しておいた地に民を導くのだ。わたしの使いが必ずあなたの前を行くようにする。だが、今度のことは見逃すわけにはいかない。彼らの罪は罰する。」
わたしは先立って神の使いを送り、カナン人、エモリ人、ヘテ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い払わせよう。
彼らが苦しむとき、神はいつもいっしょに苦しみ、 彼らを救い出しました。 神は、ご自分の愛によって彼らを買い戻し、 彼らを高く掲げ、これまでずっと彼らを導きました。
あまりの苦しさに主に助けを求めると、主はひとりの御使いを遣わし、私たちをエジプトから連れ出してくださったのです。今、私たちはあなたの国との境にあるカデシュに野営しております。
それに、復活のあるなしについては、聖書の、モーセと燃える柴の箇所を読んだことがないのですか。神はモーセに、『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』(出エジプト3・6)と言われました。
ところがそこの住民の中には、その人が王になるのを快く思わない人々があり、反対の声を送りつけました。
「違う! あいつじゃない! バラバだ!」彼らはまた大声でわめき立てました。このバラバという男は強盗だったのです。
「殺せ、殺せ。十字架につけろ!」「なに? おまえたちの王をか?」「カイザルのほかに王はない!」祭司長たちは、むきになって叫び返します。
ですから、イスラエルのすべての人に、はっきり言っておきます。神様が主とし、キリスト(ギリシャ語で、救い主)とされたイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
神様は大きな力でこの方を引き上げ、神の御子、また救い主となさったのです。それもみな、罪を悔い改め、赦していただく機会を、イスラエルの人々に与えるためでした。
それから四十年の歳月が流れました。ある日のことです。シナイ山に近い荒野で、モーセの前に天使が柴の燃える炎の中に現れました。
あなたがたはほんとうに強情な異教徒です。いつまで聖霊にそむき続けるのですか、かつての先祖たちのように。
キリストは、目には見えない神のかたちであり、神がすべてのものをお造りになる前からおられました。
天使のことばでさえいつも真理と認められ、そのことばに従わない人は罰せられました。
神に仕えたモーセの歌と小羊の歌とを歌っていました。 「全能の神、主よ。目を見張るべきものは、あなたの偉大なみわざです。永遠に生きておられる王よ。ただ、あなたの道だけが正しく真実なのです。ああ、主よ。あなたを恐れず、その御名をほめたたえない者は一人もおりません。ただ、あなただけがきよいお方です。すべての国々の民は来て、あなたを礼拝します。あなたの正しさが明らかにされたからです。」
ところが、中には飲んだくれやならず者もいて、「こんな男がおれたちを守れるものか」と言って彼を侮り、贈り物すら持っていこうとしませんでした。しかし、サウルは何も言いませんでした。
かつて、エジプトに抑留されていたイスラエル人が叫び求めた時、主はモーセとアロンを遣わし、彼らをこの地へと導いてくださった。