それで、提案ですが、あの人たちを放っておいてはどうでしょう。もし彼らの教えや行動がただのでっち上げなら、遅からずくつがえされてしまうでしょう。
敵は、陰謀が神によってあばかれて私たちに知らされ、失敗に終わったことを知りました。今や、私たちは一丸となって城壁工事を再開しました。
どんなに賢明な人でも、 どんなに良い教育を受けた人でも、 主と対等にやり合うことなどできません。
「わたしは、イスラエルに攻め込んだアッシリヤ軍を 打ち破り、わたしの山で踏みつけることに決めた。 わたしの民は二度と彼らの奴隷にならない。
主の許しがなければ、だれもあなたに、 あれほどひどい仕打ちをするはずがありません。
しかし、イエスは言われました。「わたしの父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎ抜かれてしまいます。
バプテスマのヨハネは、神から遣わされたのですか。それとも、違うというのですか。さあ、答えてもらいましょう。」
このまま放っておいたら、国民一人残らずあの男を信じるようになってしまうぞ。そんなことにでもなったら、ローマ軍が踏み込んで来てわれわれを殺し、われわれの土地も国民も乗っ取るだろう。」
それから、一同に言いました。「イスラエルの皆さん。あの人たちの扱い方には、よくよく注意してください。
この世の知恵は、神から見れば愚かだからです。聖書のヨブ記に、「神は人の知恵を、その人を捕らえるわなとして用いられる」(5・13)と書いてあるとおりです。つまり、人は自分の「知恵」につまずいて倒れるのです。