こう言うと、パウロはパンを取り、みなの前で感謝の祈りをしてから、裂いて食べ始めたのです。
それから群衆を草の上に座らせると、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神の祝福を祈り求め、パンをちぎって、弟子たちに配らせました。
そして、七つのパンと魚を取り、神に感謝をささげてからそれを裂き、弟子たちに渡して、一人一人に配らせました。
イエスは、群衆に地べたに座るようにお命じになりました。そして七つのパンを取り、神に感謝の祈りをささげてから、ちぎって弟子たちに手渡され、弟子たちはみなに配りました。
食卓に着くと、イエスはパンを取り、神に祝福を祈り求め、ちぎって二人に渡しました。
そこでイエスはパンを取り、神に感謝の祈りをささげてから人々にお配りになりました。また魚も、同様になさいました。みんなほしいだけ食べて、満腹しました。
イエスが感謝の祈りをささげ、みんなでパンを食べた場所の近くに、テベリヤから数隻の小舟が来ていました。
私は、この福音を少しも恥じてはいません。福音は、それを信じる人をだれでも天国に導く、神の力ある手段です。福音は最初、ユダヤ人だけに伝えられていました。しかし今では、すべての国の人が同じ方法で神のもとに招かれているのです。
もし、主を礼拝するために特別な日を守っているなら、主をあがめようとしてすることなので、良いことなのです。偶像に供えた肉を食べる人についても、同じことが言えます。彼はその肉のことで主に感謝しているのですから、正しいのです。そんな肉には触れようともしない人もまた、主に喜んでいただこうと願うからそうするのであって、感謝しているのです。
そのために、私はいま獄中で苦しんでいます。しかし、それを恥とは思いません。なぜなら、私は自分が信頼している方をよく知っており、またその方は、私がお任せしたものをみな、再び来られるその日まで安全に守ってくださると確信しているからです。
もしあなたが、この力を奮い起こすなら、主について人前で語るのをためらったり、キリストのゆえに牢獄につながれている私のことを恥じたりしなくなるでしょう。それどころか、私と共に苦しむ覚悟ができるはずです。神は苦しみのただ中にあっても、力を与えてくださるのですから。
しかし、クリスチャンだという理由で苦しみを受けるなら、少しも恥じることはありません。それは、キリストの家族の一員として、キリストの名で呼ばれる特権を受けた証拠ですから、神をほめたたえなさい。